230「メシヤ教本部の改装」 令和2年1月

私は四年前にメシヤ教代表の楳木先生とのこじれからメシヤ教を離れました。同じ頃大分県玖珠町にあるメシヤ教の本部は改装をしたようです。改装後のメシヤ教本部には一度も行っていませんが、当時のメシヤ講座に工事の話がありました。

メシヤ講座を読んで本部の改装を知った時、私はなんてことをしたんだと思いました。当時楳木先生はメシヤ教本部内にご家族で住まわれていました。御神体を御奉斎している広間から廊下を隔てた所がご家庭用の住居となっていました。宗教施設と住居を混同させてはいけなかったからなんだと思いますが、楳木先生はご家族の住居スペースを切り離す工事をされたようです。それにはとても驚きました。私はそれまで二年半ほど毎月メシヤ教本部の月次祭に通い参拝させていただいていました。当時私の息子は自閉症でかんしゃくがとても激しく、多動もあり、参拝中は私はいつも息子の粗相に気がきではありませんでした。他の参拝者に迷惑をかけたくなかったためと、その当時私自身もいろいろな精神疾患を患っており人がたくさん集まる場に行くのがとても辛い状況にあったため祭典中はリビングにいさせてほしいと何度も思っていました。ですが、リビングは楳木先生のご家族の居住スペースなのでそんなことはとても言えませんでした。息子がかんしゃくを起こし参拝者に迷惑をかけてしまうたびに頭の中が真っ白になりました。

その当時私は回避性パーソナリティ障害、社交不安障害、うつ病などいろいろな苦しみを抱えていました。私が初めてメシヤ教の参拝に行ったのは平成二十五年五月五日に行われたメシヤ教の祭典の日でした。毎月の月次祭の時とは違い大祭の時には全国から信者さんが集まるのでその日メシヤ教本部内はたくさんの参拝者が来られていました。ただでさえ人がたくさん集まる場が恐ろしくてたまらないのに誰か頼れる人などの付き添いもなくかんしゃくの激しい当時二歳だった自閉症の息子を連れての参拝は私にとっては地獄のような時間でした。その日私はもう二度とあの場へは行きたくないと思いました。ですが、私はメシヤ様から神秘を見せられ自分の使命も自覚していたため、もう二度と行きたくないと思うほどの恐怖を味わったもののそれからもがんばってほぼ毎月参拝を続けました。

私はメシヤ様より自分の抱える病気や苦しみを一つ一つ御守護いただき、平成二十七年六月十五日の地上天国祭で体験談を発表させていただきました。そのことにより私と同じ悩み苦しみを抱える方たちがメシヤ様に救いを求めて今後本部や各支部に来られるかもしれないと思い、今の状態では受け入れ体制がだめだと思いました。これから新たに参拝に来られる私と同じ苦しみを抱えた方たちに自分と同じような辛い思いをしてほしくないという思いから本部のリビングを使わせていただけないでしょうかと勇気を出し楳木先生にメールでお願いしました。それが確か四年前の秋頃だったと思います。教団代表の居住スペースを利用させてもらいたいという願い出は本当に心苦しかったんですが、そうしないと人救いに繋がっていかないのでお願いしました。そうなるともちろん楳木先生のご家族の私生活もさらされてしまいますし、利用する側も遠慮してしまいます。私は楳木先生のご家族に別の場所へ引っ越ししていただきたいと思っていました。そうすれば参拝者も自由に使えます。ですが、さすがにそんなことまでは言えるわけがないのでそこは察していただきと思っていましたし、楳木先生なら理解していただけるだろうと思っていました。ですが、それについての楳木先生からの明確な返事はいただけませんでした。それからしばらくして私の二度目の体験談のことがきっかけで楳木先生とはこじれてしまい私はメシヤ教を離れました。メシヤ教本部と楳木先生のご家族の居住スペースを分離する工事をされたのはそのあとにネットでメシヤ講座を読んで知りました。楳木先生がまさかそんなことをするとは思いもしなかったので本当に驚きました。

メシヤ教本部は御神前が門側の下座に位置していたので、ご家族の居住スペースと分離すると同時に御神前の位置も今までの反対側に作り直されたようです。ということはいくら建物を別にしたとはいえ楳木先生のご自宅は同じ敷地内で御神前よりも上座になったように思えてしまいます。工事をする費用だってだいぶかかったでしょうし、なんでそんなことをしてしまったんだと思いました。当時全国から信者さんが集まる大祭の時には廊下までぎっしりなるほど参拝者も増えていたので、そういった面でも楳木先生のご家族の居住スペースを開放していただきたかったのに工事をしてまでなぜそこに住み続ける選択をしたのだろうかと疑問に思います。本部施設は神様が用意されたものであり私物化してはいけないはずです。すでに楳木先生は他界されていますし、私もメシヤ教本部を訪問することはもうないかもしれませんが、そのことを思い出すと残念でなりません。