406「地震と台風と気吹戸主神社」令和6年9月

九月十日になりました。一ヶ月前の八月八日に日向灘地震が発生し、宮崎では震度6弱、私が住む鹿児島では震度5弱の揺れがありました。その時私は勤務中で、突然の大きな揺れにとてもびっくりしました。大きな地震が起こり一番最初に心配になったのが息子の安否でした。部活から帰り息子は家に一人でいる時間だったので、息子が無事でいるのかどうか、一人で怖い思いをしていないかどうかということがとても心配になりました。家には固定電話はなく息子に携帯は持たせていないので息子と連絡を取り合うことはできません。なので妹の携帯に電話をかけました。妹は仕事も休みで運良くすぐ電話に出てくれて、すぐ我が家に向かってくれることになったのでとても安心しました。地震後しばらく経ってから仕事が再開し、仕事が終わりすぐに妹の携帯に電話をかけました。妹が甥っ子を連れて我が家へ着くと息子は地震を怖がった様子もなく平然としていて「何?」と言ってきたそうです。私は仕事が終わるまでずっと息子のことを心配していたのになんだ全然大丈夫だったのかとほっとしました。長年の雨漏りのせいで大きな地震でもくればすぐに壊れてしまいそうなほどのぼろぼろの家に住んでいるんですがどうにか家も無事でした。先月あったその地震は私が今までに経験した中では一番大きな揺れでした。災害で家が崩れるのは仕方がないにしても子供の安否というのは心配で仕方がないというのをその地震で実感しました。

その日は地震が起こる前まではずっと雷が続いていました。いったいいくつ落ちてるんだと思うほど近くでものすごく大きな雷の音が鳴り響いていました。前回のブログで速佐須良比売地震の神だと書きましたが、それだけではなく速佐須良比売は雷の神でもあるようで、その時はあまりにもすごい雷が続いていたので速佐須良比売の働きなんだろうなと思っていました。そして、ものすごい雷が続いている最中にその地震が起こったのでその時は本当にびっくりしました。速佐須良比売の力を見せられたように思いました。前回のブログで速開都比売神社に行った時に気吹戸主神社はあるのに速佐須良比売神社はなかったと書きましたが、瀧のすぐそばに龍神社というのはあったんです。もしかすると速佐須良比売は名前を消され、ただ龍神として祀られていたんじゃないかと思いました。日向灘地震の次の日には神奈川で地震が起きました。おそらくそれらの地震は序章というか警告の意味があったんだろうと思います。

そして、八月二十八日と二十九日は家族で宮崎に行ってきました。父も一緒でした。その旅行の時に前回行けなかった速川神社に行くつもりでいたのにちょうど台風と重なってしまったためまたしても速川神社には行けなかったんですが、元々予定していたみそぎ御殿に参拝に行くことはできました。

みそぎ御殿は古くからある神社です。近くにはみそぎ池があります。天津祝詞にある筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で、伊弉諾命が禊ぎ祓いをしたといわれる場所です。五年ぐらい前にも一度息子と妹と甥っ子と四人で行ったことがあったんですが、今回は父も一緒に行くことができました。台風は近づいていたんですが、家から宮崎に向かうまでの間は雨風はほとんどありませんでした。強い雨が降り始めたと思ったら一瞬で止まるというようなことがありました。みそぎ御殿を参拝しみそぎ池まで行っている間もぱらぱらと雨が降り出しかと思えばすぐ止まるということが二、三度あり、陽射しまではないものの雨上がりのような心地良い天気の中でまわることができました。そして車に戻り車に乗る直前から雨が降り出し、車に乗って二、三分後には強い横雨の暴風雨となっていました。すごいタイミングでの出来事だったので参拝が終わるまで台風を止めてくれていたのかと驚きました。

そのままホテルに向かい、その日は台風の中ホテルの中でゆっくり過ごしました。翌日は十一時にチェックアウトした頃には台風の雨風はもうおさまっていました。鹿児島に戻り霧島市隼人町を通っていたらふと蛭子神社という神社の名前が目に留まりました。ヒルコは天照大神の姉神でのちのワカヒメですが、前日にみそぎ御殿に行き伊弉諾命の家系の神様に参拝したばかりだったので蛭子神社にもぜひ行って参拝したいと思い行きました。

そして九月八日、速川神社を目指し再び宮崎に私と妹と甥っ子の三人で行ってきました。妹がネットを検索をしたら速川神社は臨時休業になってると言ったんですが私はどうしても行きたくて、せっかく宮崎まで行っても速川神社には行けない可能性があるのに行くだけ行ってみることにしました。そして、行ってみるとネットで臨時休業とあったとおり前回行った時と同様速川神社に通じる橋が渡れないよう封鎖されていました。ちょうどそこへ速川神社に行こうとされていた別の家族が来られて少し話をしたんですが、先日の台風でがけ崩れとかがあってそうした影響で臨時休業になってるのかもしれないと言っていました。せっかく行ったのにまたしても速川神社にたどり着けず残念に思ったんですが、妹が速開都比売神社に行こうと言ったので、そこから十分ほど先に行った所にある速開都比売神社に再び行きました。

速開都比売神社に着くと青い鳥居の前で黄色い蝶が出てきました。そして本殿で参拝をして次に本殿横にある神社に参拝をして、さらに進んで気吹戸主神社のそばまで行った時に今日のメインはここなんじゃないかという気持ちになりました。そして、参拝を終えて坂を下りだしたところでまた黄色い蝶が出てきてしばらく近くを飛んでいました。やっぱり今日のメインは気吹戸主神社だったんだと思いました。妹が気吹戸主神社を撮った写真にはきれいな虹色の光が差していました。

ここ最近は地震や台風のことをいろいろ調べたりしていました。地震は霊的には龍神が起こすものですが、人工地震というのもあるようで、東北大震災が人工地震だったというのはネットで何度か見ましたが、阪神淡路大震災も人工地震だったという話はさすがにそれは違うんじゃないかと思っていました。ですが、ネットの情報を見てると本当だったのかもしれない、とも思えます。どれが人工地震でどれが違うのかなんて私には分かりませんが、そもそも人工地震は戦時中からあったようで、それが本当だとすると日本は戦後もずっとやられっぱなしだったのかと驚きました。人工地震がこれまでに何度もあったとしても神様からするとまだ小さなもので、これから清算のために本格的に開始される神々の働きは想像以上のものなのかもしれません。

それから気象操作というのもあるようで、御教えの「二十一世紀」の中でも晴天も雨天も自由に出来ることになっていて、いつ雨を降らせるかも決めることができて、風もちょうどいいそよ風を吹かせたり、樹木の根を張らせるために強風を吹かせることもあるということが書かれており、将来的にはそういったことが気象操作でできるようになるようですが、ムーンショット計画にあるような台風による大きな被害を抑えるための気象操作というのはやってはいけないことなんじゃないかと思えます。

御教えでは低気圧は霊界に溜まった曇り、汚濁の清掃作用とあり、人間の悪の心、言、行が曇りを作っているわけで、台風で大きな被害がでないようにするには人間の心、言、行が善に変わればいいわけで、それを勝手に人間が操作するのは気象を司る龍神を怒らせてしまうんじゃないかと思えます。速開都比売が嵐の神で、嵐というのは暴風や暴風雨の総称で、台風も嵐の一種なんだそうです。なので、台風の操作をするということは速開都比売の働きの妨害をするということになるんじゃないかと思えます。それに、そもそもミロクの世には悪人は残っていないわけで、そうなると必然的に台風というものもなくなるので台風の気象操作をやる意味がないということになるんじゃないかと思えます。

先日の神社参りは気吹戸主神社がメインだったと思えたので気吹戸主について少し調べてみました。気吹戸主は風の神ですが具体的にどういう働きなんだろうと思い調べたら気吹戸主は竜巻の神だとありました。竜巻は日本ではあまり起こりませんが、気吹戸主は今後日本国内でも大きな働きをされていくのか、それとも外国の方が強いのかと気吹戸主の働きが気になります。

 

405「火の神、水の神と祓戸大神」令和6年8月

八月五日になりました。今日は三週間前に行った神社参りの話を書きます。七月十五日は宮崎まで神社参りに行ってきました。また息子と妹と甥っ子と四人で行きました。その日は最初に都農神社へ行きました。都農神社は大国主を祀っているという話は妹から聞いており、特に何も調べずに行きました。都農神社に着くと大国主の他に素戔嗚尊も祀られていましたし、稲荷神社もありました。都農神社に行くことになったのも何かあるからだと思って境内をまわっていたんですが、境内の最後に愛宕神社に着きました。愛宕神社は優しい木々の中にあり別空間のようでした。愛宕神社の御祭神は火産霊命とありました。火の神カグツチのことだそうです。愛宕神社天津祝詞を上げたあと黒いアゲハ蝶が出てきました。今日のこの都農神社参拝のメインはここだなと思いました。

都農神社境内を出たあとは車で少し移動し、都農神社の奥宮とされる瀧神社に行きました。御祭神は水の神高龗神とありました。そこでもまた黒いアゲハ蝶が出てきました。火の神、水の神と続けての参拝となったので今後の御神業で大きな働きをされていく神様なんだろうなと思いました。

その日はもう一つ速川神社にも行く予定でした。速川神社は祓戸四神が祀られている神社で、橋を歩いて渡った川の向こう岸にあります。橋のそばに車を停めて辺りを見回していたら甥っ子が「鹿がいるー」と叫びました。どうやら茂みの中に鹿がいたらしいんですが私と妹は見つけることができず、鹿はすぐいなくなってしまいました。すぐ動物を見つけ出す甥っ子には驚きました。せっかく行ったんですがその日は川の増水のため橋を渡ることができず速川神社の参拝ができませんでした。

せっかくここまで来て参拝できずに帰るのは嫌だなと思ったのとそこからもう少し先に速開都比売神社があると妹が言っていたので、そこに行くことにしました。速開都比売神社も橋を歩いて渡った川の向こう岸にありました。吊り橋を渡り少し歩いたところで今度は甥っ子が「猿がいるー」と叫びました。道の先を見ると本当に猿がいました。小さめの猿でした。こっちに向かってきたらどうしようと少しびくびくしていたんですが、その猿はしばらくこちらの様子を見たあと奥に消えていきました。

速開都比売神社の鳥居はちょっと変わっていて青い鳥居でした。ホツマツタヱによると速開都比売天照大神の后の一人だったそうです。私は嫉妬や妬み、蹴落とし合い、殺し合いの女同士の醜い争いが起こる側室制度なんてものは恐ろしいと思いますし不快に思っているんですが、そもそも何人もの后をおく制度を始めたのが天照大神だったようで、国を治めるために各地の権力者の娘を后にするというのはその当時においては必要なことだったのかもしれませんが、今の時代では考えられないことですし、これが三千年の夜の時代のやり方だったんだろうなと思えます。当時の速開都比売はどんな心情でいたんだろうかとそんなことを考えながら参拝しました。

速開都比売神社の奥には気吹戸主神社もあり迫力のある瀧もありました。ホツマツタヱを読むかぎり祓戸四神の中で人間としての生活で一番いろいろあったのが速佐須良比売だと思うのでこの神様を祀る神社に参拝したいという気持ちがすごくありました。気吹戸主神社があるなら速佐須良比売神社というのもないものかと期待しましたがありませんでした。

最後にもう一度本殿の速開都比売神社にご挨拶をして帰ろうとしたら青い鳥居のある階段のところで横から何かがぼとっと落ちてきました。ヤモリが出てきたと思いました。妹は縁起がいいと喜び写真も撮っていました。あとで調べたらお腹の部分が赤かったのでヤモリではなくイモリだったんだと分かりました。スピリチュアル的にはヤモリよりもイモリの方が縁起がいいらしく、神社でイモリを見れたことに妹はさらに喜んでいました。最後に出てきたイモリは見送りをしてくれたのかなと思いました。速佐須良比売にも参拝したいという思いがすごくあったんですが、速開都比売神社では祓戸四神と他に伊勢大神猿田彦、天細女命も祀られているそうなので、私の想いは速佐須良比売にもちゃんと届いていたのかもしれません。

祓戸四神は毎日朝拝で奏上する天津祝詞にある祓戸大神ですが、この祓戸大神を祀る神社に参拝に行くことになったのも何か意味があってのことだったんだろうと思いネットで調べてみました。祓戸大神の一柱瀬織津比売は雨の神、速開都比売は嵐の神、気吹戸主は風の神、速佐須良比売地震の神なんだそうです。気象を司るのも災害が起きるのも龍神の働きですが、そのそれぞれの役割の頭領となるのが祓戸四神なんだろうと思います。祓戸大神は人間個人の禍事罪穢を祓い清めてくださる働きと霊界に溜まった汚濁の清掃としての働きと両方を司っているようです。

先月宮崎に行った時には速川神社には行くことができなかったんですが、今月また家族で宮崎に行く予定があります。その時に速川神社にも行く予定です。これから大きな働きをされていく祓戸大神にしっかりと参拝してこようと思っています。

 

404「都知事選と七夕の日」令和6年7月

七月十三日になりました。この三週間はかなりユーチューブに見入っていました。六月二十日、ユーチューブを見ていたらうつみさんの都知事選の街頭演説の動画が出てきました。私はうつみさんのことは名前は知っていましたがうつみさんの書かれた本も読んだことがないですし、うつみさんのことを詳しく知りませんでした。ですが、うつみさんの街頭演説を聞いたら内容が素晴らしすぎて、うつみさんてこんなすごい人だったのかと驚きました。もしかして素戔嗚尊はうつみさんのことなのかなと思いました。七月六日の国会前での応援弁士の方々の応援演説にも感動しました。私は東京都民ではありませんがうつみさんに投票しに行きたくなるぐらい見入っていました。応援演説をされていた吉野さんのことは一、二年前からユーチューブで何度か動画を観させてもらっていましたが吉野さんのお話もとても素晴らしく、吉野さんは「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の十七条憲法の言葉をよく言われてますが、吉野さんは聖徳太子の弟子だった人なのかなと思いました。

七月七日は第一日曜日だったので我が家の月次祭と先祖の慰霊祭を執り行い、そのあとは地元の県知事選の投票に行ってから笠沙町の海に遊びに行ってきました。息子と妹と甥っ子と四人で行ってきました。笠沙は私の母方の祖父母が暮らしていた町で、その海には小さい頃にも何度も行って遊んでいました。目の前には小島があり、右奥には金峰山が見渡せる景色のいい海です。ここ数年は毎年夏に一回は子どもたちを連れて遊んでいます。二時頃着いたらちょうど潮が引いていて、遊ぶのに最適な状況でした。海に入ってしばらくすると妹がクラゲを一匹見つけました。青いクラゲでした。浅くきれいな海の中で透きとおったブルーの生命体を見てとても心が癒されました。ドラクエホイミスライムのようで、私と妹はホイミンみたいだねと喜び合っていました。

海には三時間ぐらいいたんですが、泳ぐわけではなく私と息子と甥っ子は三人でずっと浅瀬の海の底の砂をすくって投げ合って遊んでいました。田舎の海で他に遊んでいる人も誰もいないので自由に遊べました。妹は一緒には遊ばず一人浮き輪につかまり優雅に海の中でゆったりしていたんですが、いつのまにか親子のような大小の青いクラゲが数匹妹の足元に集まってきていたようで妹は一人でぎゃーぎゃー騒いでいました。

海の水温も温かく、途中浜辺でスイカ割りをして食べたりもしてとても楽しく過ごせました。海はきれいなんですが、浜辺には流れてきたものか捨てられたものなのかは分かりませんがゴミが少しあったりするので自分たち三人が遊んでいる間に妹は浜辺のゴミ拾いをしたりもしていました。ですが最後帰り際、車に乗る直前に甥っ子がサンダルと水筒を車に乗せずに置いてきてしまいました。せっかくゴミ袋を持参してゴミ拾いをして拾ったゴミを持ち帰ったのに子どもの持ち物は忘れてきてしまい妹を残念に思いました。

後日ネットで調べたら海にいたクラゲはビゼンクラゲという名前でした。クラゲに刺されたら痛いので何匹もいたら海で遊ぶことはできなかったと思いますが、自分たちが遊んでいた所には一匹だけだったので風流でもあり癒しにもなりました。夏はあっという間に終わってしまうので初夏の海を楽しめてよい七夕の日となりました。

最後に、今月初め掲示板でろぼっちさんという方が私のブログを紹介してくださっていました。同じ日にろぼっちさんは神慈秀明会に関する話で

>誠の献金50億が小山先生やその一族の資産になってたなんて悲しいですね。

という話に、同感です。と投稿されていました。その話が本当のことであるなら許せないです。

 

403「宇佐神宮参拝と素戔嗚尊」令和6年6月

六月十八日です。三日前の十五、十六日は一泊二日で大分の宇佐神宮に行ってきました。今回もまた息子と妹と甥っ子と四人で行ってきました。

宇佐神宮参拝のきっかけは今月の初め頃妹からラインで宇佐神宮についてのサイトのURLが送られてきたことです。妹が神社参りに誘ってきたり神社の紹介をしてくるのは意味があってのことだと思っているので、最初は子どもたちが夏休みの頃に行ければいいなと思っていました。ですが、一週間ほど前ネットで宇佐神宮についていろいろ調べていくうちに早く行きたいという気持ちになり、大分なら土日に一泊二日で行けると思い、私と妹の仕事の都合を考えたら行けるのが十五、十六の土日となり、妹と話し合いこの日に行くことを決めました。六月十五日は地上天国祭の日で、我が家では月次祭や地上天国祭などの祭事は十一時から行うと決めているんですが、もうどうしてもその日に宇佐神宮に行きたいと思ったので、地上天国祭のお参りを早朝に行い出発することにしました。お金に余裕はなかったんですが、安い料金で一泊二食付きで温泉にも入れる宿を妹がネットで探しだしてくれて宿もすぐ決まりました。

朝六時半頃家を出発し、宇佐神宮に着いたのがちょうどお昼の十二時でした。先に昼食を済ませ境内をまわり始めました。私はこの宇佐神宮参拝の意味を数日間いろいろ考えていました。最初に妹が宇佐神宮についてのURLを送ってきた時に宇佐神宮卑弥呼の関係についての話も送ってきたので、今回のこの宇佐神宮参拝の私にとっての重大事は卑弥呼に関することなのか、それとも八幡大神に関することなのか、それとも比売大神として祀られている三女神のことなのかと考えそれぞれネット検索をして数日間調べていたんです。ですが結局よく分からないまま当日を迎え宇佐神宮を参拝してまわっていました。

宇佐神宮には上宮と下宮があり、両方をまわり次に進むと八坂神社の前に辿り着きました。そして、その時甥っ子が「蛇がいるー」と慌て驚いていました。すぐ甥っ子のそばに行くと八坂神社の正面の向かい側にある水路付近に長さが一メートルぐらいある白蛇がいました。その白蛇はゆっくりゆっくりと石垣の隙間に入っていなくなりました。神社で白蛇を見るなんて縁起がいいですし、もしかして重大事はここだったのかと驚きました。

八坂神社といえばスサノオだと思い、八坂神社の鳥居をくぐる前に携帯で御祭神を確認しました。御祭神は素戔嗚尊で養蚕神社の天照大神が一緒に祀られているとありました。天照大神を祀る神社にはこれまでに何度も行っているので今回の重大事は素戔嗚尊のことなのか、それとも天照大神のことなのかとまた迷いました。そして古事記に書かれている天照大神素戔嗚尊の関係と、ホツマツタヱに書かれている天照天皇瀬織津姫素戔嗚尊の関係が私の頭の中ではちゃんと整理できていなかったので、これはいったいどういうことなのかと私の頭の中はごちゃごちゃになっていました。そのあとも一通り宇佐神宮境内をまわりその日は別府の宿に泊まりました。

そして、次の日は宇佐神宮の奥宮、御許山の大元神社に行きました。山を登った所にその神社はあります。車で登山口まで行き、いざ山を登り始めようとしたら息子が山登りを嫌がりとても不機嫌になっていました。前日の宇佐神宮参拝も後半以降は息子はかなりくたびれて不機嫌になっていました。家でゲームをしたりマンガを読んだりユーチューブを見て過ごすことが何より好きな中学生の息子にとって神社参りや山登りは全く楽しいことではなく、山を登り始めたら音楽を聴きたいと言い出しました。やる気もなくだらだら歩いていた息子に対し私は「今から姫様に会いに行くんだよ」と声をかけましたが全然だめで、妹が「頂上まで行ったらワイファイ繋がるよ」と言ったら息子は大喜びして走って山を登りだしました。そんな嘘に乗せられてなんて単純な子なんだろうと思いました。そこからはもう息子も機嫌がよくなり元気よく山を登りました。

山を登りきり鳥居をくぐると右側に比売大神が祀られている大元神社があり、大元神社の拝殿の向かい側にはさらにまた鳥居があり、大元八坂神社と書いてありました。鳥居の奥を覗くと少し坂を上ったところに八坂神社がありました。御許山ではてっきり比売大神だけが祀られているものだと思っていたのにそこでもまた素戔嗚尊が祀られていたので驚きました。宇佐神宮では人も多くて祝詞を上げることはできませんでしたが、御許山の大元神社と大元八坂神社では天津祝詞を上げ、「今後の御神業のご協力をお願いいたします」と祈りました。

お参りが終わり自分達家族が大元神社前の鳥居をくぐり出て行こうとしたタイミングでちょうど男性が二人鳥居をくぐって入ってきました。鳥居を出てしばらくまっすぐ進み、右折する直前で神社の方から角笛のような楽器の音が聞こえてきました。これは神様への奉納だなと思いました。絶妙なタイミングで聴けたな、今回の神社参りの意味は素盞嗚尊に関することだったんだなと思いました。

御許山を下りたあとは子どもたちを楽しませるために城島高原パークに行きました。ジェットコースターもいくつか乗りましたが私と息子と甥っ子は怖くて同じものに何度も乗る勇気はなかったんですが、妹は木製コースターのジュピターに三回乗っていました。子どもたちを楽しませるために行ったのに一番楽しんでいたのは妹だったと思います。

夕方まで城島高原パークで遊んで高速道路で帰りました。行きも帰りも妹が車の運転をしてくれました。帰りの車の中でもこの二日間のことをいろいろ考えていました。高速道路で熊本を走っている時妹が「夕日が沈んだね」と言ったので窓の外を見ると、ちょうど太陽が沈んだあとで夕日の残像だったのか赤い少し横長の丸い形をした雲のようなものが見えました。真ん中に丶が入っているように見えました。そして、その景色を見る直前だったか見た直後にこの二日間で起こったことは素戔嗚尊の改心を意味するものだったんだと気づきました。御教えに素戔嗚尊は三代いてまだ改心していないのもあるとあります。その素戔嗚尊が改心してメシヤ様の御用をしていくというその知らせだったんだと思えました。良い天気に恵まれ意義のある二日間の旅でした。

 

402「もやもやして眠れない」令和6年5月

今日は夕方息子を連れ地元のショッピングセンターに行きました。店に入ったらMさんがいました。Mさんと目を合わせないよう通り過ぎようとしましたが、Mさんも私に気づいたようで私のことを振り返って見ていました。Mさんと偶然会ってしまうなんてものすごく嫌な気持ちでした。Mさんだって私を見て不快だっただろうと思います。別れた彼とMさんが付き合い出してもう一年が経ちました。悪魔に魂を売った彼は私の息子とMさんの子供が同じ中学になると分かったうえで私への復讐心でMさんを自分に夢中にさせMさんと付き合い出したんだと私は思っています。こんな残酷なことをされたあげくPTAなどの学校行事以外の時でもMさんの姿を見るのは精神的にとてもきついです。

彼が主張するとおり喧嘩して彼の家を出て行ったのは私で、別れると言ったのも私なので彼がその後に誰と付き合おうが彼の勝手なのかもしれませんが、常識的に考えれば別れた女の子供と紹介された女性の子供が同じ学校になると分かれば普通は交際するのはやめておこうと考えるものだと思うんです。ですが、サイコパスであり私に復讐心をもっていた彼が常識的なことをするわけもなく、彼は逆にそれを絶好の私への復讐になると考えたんだろうと思います。私と別れたあと彼は何人もの女性を自分に夢中にさせて切り捨てていたのにMさんと付き合い出したのはそういうことだと思っています。

ですが、たとえ彼がそのことをMさんに打ち明けたとしてもそれでもやっぱりMさんは彼から離れることなんてできないだろうと思います。どんなに最低な人間であっても彼には女を惹きつける魅力があります。口が達者なだけでなく彼は普段は俺様気質なのにメンヘラな部分もあるので、そういった彼のメンヘラな姿を見ると私と同様Mさんも彼のことをほっとけないと思わせられているのかもしれません。

私が彼から最初に人を殺して人の肉を食べたという話を聞いたのが今から三年前の三月二十九日でした。そして、次の日には彼は口封じのために我が家へ来てポケットからナイフを出し、「今日は裕美さんが天に召される日だから」と言いました。あの時は本当に彼は私を殺すつもりだったんだと思います。そして、メシヤ様から御守護をいただき私は命が助かりました。その翌朝彼は我が家を出る時なにか焦った様子で部屋の中をきょろきょろと探っていました。その時はどうしたんだろう、何をしているんだろう、もしかしてうちに盗聴器をしかけるつもりなのかと思ったんですが、あとになってあの時の彼の行動は彼が喋ったことを私が録音していないか不安で探っていたんだと気づいたんです。

彼の恐ろしい発言、恐ろしい行動には本当に何度も何度も恐怖し悩まされ続けましたが、彼は自分が人を殺して人の肉を食べたと思いこんでいます。彼は精神病なんだと思います。この三年間彼の恐ろしい話も何度も何度も書いてきてはいますがいつか彼が私のブログにたどり着く日がくることを考えたらはっきりと精神病と書くことができませんでした。彼は黒龍に憑依されており、その黒龍に人を殺して人の肉を食べたと思いこまされているんです。だから彼と別れて一年九ヶ月も経つのにいまだにずっと彼のことを心配しているんです。そして、そんな恐ろしい発言をMさんは彼から聞いていないんだろうか、聞いていたとしたらMさんは彼と付き合っていて恐ろしくないんだろうか、彼と付き合っていて幸せなんだろうかと疑問に思います。Mさんも彼の恐ろしい発言を彼の思いこみだと分かっているのか、それとも彼の話を信じていてそのことをずっと秘密にして彼と交際を続けていくつもりなのか、Mさんの考えていることも分かりません。

ただ、彼のことを心配している反面人としてありえないことをやった彼に対する怒りは今もまだあります。今日のように偶然Mさんの姿を見てしまったりすると私もかなり精神的にきつくなります。Mさんがどういった気持ちで彼と付き合っているのかは分かりませんが、彼との関係を続けていくつもりなら彼と一緒にどこか遠くに引っ越してくれないだろうかと思ってしまいます。

こんなことを考える私はひどい人間なのか、Mさんの姿を見るのが嫌なら私が息子を連れてどこか遠くへ引っ越すべきなのか、それともずっとこのまま耐え続けていくべきなのか、どうすればいいのか分かりません。

彼とMさんの話はもうなるべく書かないようにするつもりだったんですが、今日のように偶然Mさんを見かけてしまったりすると私ももやもやして夜もなかなか寝付くことができず、結局また書いてしまいました。

 

401「お通夜での問題と人間の死後」令和6年4月

先日末期癌の知人に病院に会いに行き、その三日後その知人が亡くなりました。息子さんから連絡を受け、一昨日お通夜に行ってきました。

私は自分の身内の葬儀は何度か経験しましたが、身内以外の葬儀に行った経験がほとんどありません。数年前に友達のお母さんが亡くなり、その友達と私の妹も仲がよく、そのお母さんとも少し親交があったので、妹と一緒にお通夜の日の式が終わった後の時間にお悔やみに行ったんですが、親族以外のお通夜に行ったのはその時かぎりです。今回自分一人で知人のお通夜に行くことになり、粗相がないようにある程度知識を得ようと仕事から帰りお通夜に行くまでの時間ネット検索をしました。ネットの情報を見ていくうちに親族ではない自分がお通夜の式の時間から参加すべきなのかどうかが分からなくなり、だんだん自分の精神状態が落ちていき、こんなことをさらけ出すのはとても恥ずかしいことなんですが、お通夜に行くことが本気で嫌になってしまいました。そして、お通夜に行くと告げてしまったのに今さらどうやって行けなくなったと告げればいいんだろうかと悩みそれもまたネットで探しました。そして妹にも電話をしました。二度電話しても繋がらず、式が始まる直前の六時前に妹から電話がきて事情を説明すると、「親族でもないんだから八時、九時頃ちょこっと行ってくればいいのよ」と言われ、かなり暗くなって本気で行くのが嫌になっていた私の心が晴れました。妹の言葉に救われて夜八時半頃にお通夜に行ってきました。妹の電話での言葉がなかったら私はそのままお通夜に行くこともできず、そして、そんな自分が情けなくなって当分ずっと落ち込み続けただろうと思います。妹には本当に感謝でした。

昔私は宴会の場や人にお酌をするという行為が死ぬほど苦手でした。職場の宴会、結婚式の披露宴、葬式の時の宴会のような食事の場、そういった場が本当に苦手で、その宴会の間はずっと頭の中は緊張と恐怖でいっぱいで、お酌をしないといけない状況の時にはもう今にも死にそうなぐらいの恐怖でした。その地獄のような苦しみを何度も体験してしまっているので、私は今でもまだ結婚式や葬式に苦手意識があります。お通夜に行ってお線香を上げて顔を見て最後のお別れができたことはよかったんですが、そういった場に一人で行くのもやはり少し緊張してしまいました。緊張のせいで頭の中が混乱し、ご遺族と話した時もお悔やみの場にふさわしくない変なテンションで会話をしてしまいました。家に帰ってからは今度はそのことで落ち込んでしまいました。自分の失敗にものすごく動揺し落ち込んだんですが、お風呂に入って体を温めたらまた少し気分が落ち着きました。そして、一晩経ったらその失敗のこともうじうじ悩まず気持ちを切り替えることができました。

知人のお通夜に行ったことで昨日は朝から人の死について考えていました。こんなことを書いてしまったら恐ろしい人間だと思われるかもしれませんが、まず私は人が亡くなっても悲しいという感情がおきません。それは自分の親だろうが親戚だろうが知人だろうが一緒です。御教えを学び死後の世界について知っているからだろうと思います。それ以外でいえば私はもしかしたらサイコパスなのかもしれません。別れた彼のことを散々サイコパスと言ってきましたが、もしかしたら私もサイコパスなのかと思ったりもします。私には彼のように黒龍が憑依しているわけではないので彼のような恐ろしい考え方とは違いますが、普通の人が涙を流す場面で私にはそういったことができないというのは私は普通の人と何かずれてるのかなと思ったりします。マンガやドラマ、映画ではそういった場面に涙しますが、現実の死の問題はそういったものとはまた違ってくるので、私にはただただ悲しむということがありません。

私の母が亡くなったのは私が高校一年の時でしたが、母が亡くなった時も一切悲しくありませんでした。葬式の時は自分の母親なのに悲しくなくてごめんねという思いで涙が出ました。私の最初の体験談に書いてありますが、私自身があまりにも辛く苦しい悩みをいくつも抱えて生きてきており、父と母がいつもいつも大声で怒鳴り合いの喧嘩をしていたことも私には苦しみの一つでもあったので、母が亡くなった時もう二人の喧嘩を見なくてすむと思ったんです。父は船乗りだったので毎日家に帰ってきていたわけではなく、週末だけ帰ってきたり、まとめて一週間ぐらい休みがありました。父はまず朝起きると台所の水回りに関することで大声で母に怒鳴っていました。猫霊が憑依していた父は異常なほど潔癖だったので、母の台所の使い方が気に食わなかったんだと思います。そして、狐霊も憑依していた父はいつも声を荒げて母方の祖父母や大伯母の悪口を言っていました。いつもいつも同じことばかり怒鳴っていました。私は家庭をめちゃくちゃにする父のことが心の底から嫌いでした。母は癲癇の病気も持っていましたし、いつもいつも自分の実家のことを責められてばかりで苦しんでいて、母が亡くなった時母も苦しみから解放されたんじゃないかと思いました。

自分の母親が亡くなった時でさえ一切悲しくなかったので、大好きだった祖父母や親戚が亡くなった時ももちろん悲しくもなく涙も出ませんでした。母方の祖父が亡くなったのは私がネットでメシヤ様の御教えにたどり着き、それまで全く知らなかったメシヤ様の御論文が数多くあったことを知り、感激と興奮で毎日何時間もネットで御教え拝読をするようになったのと、メシヤ教のメシヤ講座を知って当時所属していた東方之光教団の間違いをいろいろ知ってからのことだったので、祖父が亡くなる時にも悲しいなどという気持ちはなく、祖父の死後についてもいろいろ考え祖父を助けたいという気持ちでした。

先日その末期癌の元同僚の女性が亡くなる前に病院に会いに行ったのもただ会いに行ったのではなく、最期に浄霊をしてあげたかったので行きました。それまで一度もその女性に浄霊のことを伝えることができず、助けることができなかったことへのお詫びの気持ちも込めて死後少しでも霊界の上の方にいけるようにメシヤ様に御守護を祈り浄霊をしました。メシヤ様の御教えを知らない方や霊界について詳しく知らない方は病院で治療を受けて散々苦しい闘病生活を送って悪い行いもしていないならきっと天国に行けると思っているんだろうと思いますが、現実は違います。薬を体に入れてしまえばしまうほど体に毒素が溜まり、霊の曇りが増え、その分だけ地獄に落ちてしまいます。霊界には天国、中有界、地獄とそれぞれ六十段ずつあり、病気で亡くなった人は霊界にいってもその病気のままですし、地獄に落ちてしまいます。病気で死ぬということ自体が本来の人間のいい死に方ではないんです。

死後の世界を信じている人でも悪いことをした人間が地獄へ落ちることは分かっていても、薬をたくさん飲んでしまって霊の曇りが多い人も地獄に落ちるなんてほとんどの人が知らないと思います。コロナワクチンが恐ろしいものだと気づいて動いている人達もどんどん出てきていますが、コロナワクチンだけでなく、出生後次々に打たされるワクチンの予防接種だってものすごく悪いものです。製薬会社や病院がなくならないかぎりこの世の中から病気もなくならないですし死後の地獄行きも後を絶ちません。それに宗教宗派によっては先祖が正しく祀られておらず供養ができていない場合もあるので気の毒に思います。私はメシヤ様が今後の先祖の祀り方についてどのようにされるのか、そういった資料のようなものが残されているのかどうかということがもう十年ぐらい気になっています。古い信者さんならもっと長く待っていただろうと思います。メシヤ様が考案された先祖の祀り方で先祖供養をできる日が早く来てほしいです。

昨日は掲示板でパンデミック条約に関する動画を見ました。もうすでにワクチンによる被害がたくさん出ているのにワクチン接種が義務化されるようなことになればさらに死人と病人だらけになってしまいます。日本の政府は操り人形にされてしまっているように思えます。ワクチンを推奨する主導者が改心しないとこの問題は解決しないんじゃないかと思えます。邪神の働きは九分九厘までと御教えにありますが、メシヤ様はどの時点でひっくり返してくださるのかと気になります。

 

400「末期癌の知人に会って」令和6年4月

四月十六日です。昨日の夜以前働いていた職場の癌を患っている元同僚の女性からラインが届きました。ラインを開くとその人の息子さんが打った文章で、今月初めから病院の緩和ケア科に入院していて、もう本人が自分でラインを送ることもできない状態だという内容でした。私はその息子さんとも以前一緒に仕事をしており、そこの仕事を辞めてからもその癌の女性とはラインのやり取りをしたりしていたので、もう末期ということで息子さんが連絡をくれたんだと思います。面会もできるということだったので今日行ってきました。

その女性はいつ命の灯火が消えるかも分からない状態でした。耳は聞こえているということだったので、右手でその方の手を握りしばらく声をかけてから左手でその方の額を浄霊しました。私にできることは最期にその方に浄霊をすることだと思い、その方の身魂が清まって少しでも霊籍を上げていただけるようにメシヤ様に祈り浄霊を取り次ぎました。その間ご家族の方も誰もいなかったので私もゆっくり落ち着いて浄霊ができました。その女性は途中からしばらくの間目も開けていましたし、何か訴えたかったのか少しうーっというような声を出していました。

職場で私がその方と最初に会ったのが一年半前でした。その時点ですでに乳癌の手術をして胸を切除してしまっていました。そして、癌が頭に転移して頭にいくつも腫瘍ができ放射線治療をしていました。それでも可能な限り仕事をしたいとその方は定期的に放射線治療を受けながら仕事をしていました。

すぐ身近に病気の人がいて助けたいと思う気持ちはものすごくあるのに浄霊のことを伝えることができなくて私自身とてももどかしく思っていました。そして、最初に出会った時点ですでに手術をして胸を切除していたので、そういう方に出会ってしまって本当にもどかしく思いました。

人身売買で臓器を切り取ることはもちろん誰もが悪だと思っているでしょうが、私は医療の臓器移植のために臓器を切ることも癌やその他の治療のために臓器や胸を切除することも悪の所業だと思っています。メシヤ様の御教えを学ばれている方ならそう思っているはずです。神様は人間が体を切って臓器や体の一部を切除するなんていう恐ろしい行為は許可していないです。

浄霊は一切体を傷つけることなく病気の原因となっている毒素を溶かすものです。なので、病気で手術をしたという人に出くわすと体にメスを入れてしまう前に出会って浄霊をしてあげたかった、大事な臓器、女性にとって大事な胸を切り取ってしまう前に出会って浄霊をしてあげたかったという気持ちが湧き起こります。なのでその元同僚の女性に対してももどかしい気持ちを抱えていました。

すでに手術をして大事な胸を切り取ってしまったことはもう仕方ないですが、もうそれ以上薬毒を入れないよう、癌が転移しないように浄霊のお取り次ぎをしたい、そういう気持ちはありました。ですが、職場の人に浄霊の話をする勇気はありませんでした。そして、私は今現在どの教団にも所属していないため浄霊をしてくれる所を紹介することもできませんし、もちろん医療と浄霊を併用している間違ったことをやっている教団に案内するわけにもいきませんし、仕事と家事と育児を一人でこなしている状態の私には時間的にも一人で受け入れることなんてできませんでした。

毎日人に浄霊のお取り次ぎをする生活をすることが私の願いです。そうなるにはまずは清算だと思っています。さっき掲示板を見たら東方之光教団の仮光明会館新装工事地鎮祭の動画が投稿されていました。前回の紫微宮建設に続きまた勝手なことをやってるなというのが私の感想ですが、メシヤ様はこれをどうご覧になられているんだろうか、このまま使われるんだろうかと気になります。

 

399「酔っ払って涙がとまらない」令和6年4月

昨日は久しぶりに近くの店に息子とご飯を食べに行きました。その店に行ったのは浄霊ヒーリング協会のことをブログに書いた日以来だったかもしれません。元々その店は息子が気にいっていて、しばらくずっと行っていなくて息子が最近ずっと行きたがっていたので行きました。浄霊ヒーリング協会のことを書いた時にファミリー居酒屋と書いたので「居酒屋」という部分に反応して子供を居酒屋に連れて行くのかと思った方もいるかもしれませんが、住宅街にある普通に家族で行けるような店です。夕方からしか営業していなくてアルコールが飲めるので居酒屋という言葉を使いましたが、その店は食事処となっています。以前私のそのブログの内容を批判したユーチューバーの方の動画のコメント欄でそういった批判があったので一応書いておきます。

以前は私はその店に行く際はアルコールは生ビールを一杯だけか赤ワインを一杯追加する程度でした。浄霊ヒーリング協会のことをブログに書いた際はずばずば書いてしまうことに勇気がいったので生ビールを飲んだあとに赤ワインを二杯飲みました。その店に行ったのは本当に久しぶりのことで、お店の店員さんも近くに住む私の母親世代の女性の方で、以前毎日のように大発狂して近所中の方を恐怖に陥れた私の父の存在も知っているはずなのに父の話は一切触れず、自分の話を私にいろいろしてくれて私を楽しませてくれる方です。昨日も久しぶりに行った私と息子のことを温かく迎えてくれました。久しぶりにその店に行ったことと三日前の出来事の苦しみがあったことで昨日は生ビールを一杯飲んだあとグラスワインを三杯飲んでしまいました。私が普段家で飲むのは缶ビール一本です。昨日はもうかなり酔っ払ってしまいました。

家に着いたらすぐ吐いてしまいました。そのあとはもう酔っ払っていて感情が溢れてしまって涙がとまりませんでした。彼のこともMさんのことも考えないようにしたくてもそんなことは簡単にはできません。先日の学級PTAの時にMさんの姿を見てもちろん私はものすごく苦しかったですが、Mさんだって私を見て苦しかったはずです。こんな苦しい目に遭うことなんて彼を紹介された最初の時点ではMさんも思ってもみなかったと思います。

先日の彼の気持ち悪いインスタグラムの投稿でも分かるように悪魔のような心、悪魔のような人格をもつ彼は私が苦しむことを楽しんでいると思います。前にも書いていますが、彼はMさんを紹介され何度かMさんと会っていた期間私とも会っていました。そして彼は「俺は悪魔に魂を売ったんだよ」と言ったんです。彼を傷つけて彼をより悪魔のようにしてしまったのは私なんですが、今の状況はあまりにも残酷です。彼の人格に関してはMさんはまだそこまで彼のことを分かっていないのかもしれませんが、彼と付き合っていた私とMさんの子供同士が同じクラスになり私とMさんが学校行事でお互い何度も姿を見ないといけなくなったことはMさんだって苦しいはずです。私だけじゃなくてMさんも苦しんでいて、悪魔のような心をもつ彼は私が苦しむことを楽しんでいて、それを考えたらとてもつらくて悲しくて、昨日はお酒を飲んで酔っ払って涙がとまらなくなりました。

私が一番に大事にしないといけないのは息子ですが、やっぱり彼のこともMさんのことも考えてしまいます。この苦しみは簡単にはなくならないです。心が壊れてしまわないようになんとかこの一年を乗り越えたいです。

 

398「彼のことより大事なこと」令和6年4月

昨日はクラスのPTAでMさんを見てしまい、辛すぎてすぐさまブログにも書いてしまいましたが、今日は朝からイライラすることがあって息子にぐちぐち文句を言って息子を落ち込ませてしまいました。

新学期には学校への提出物がいろいろあるためどこの家庭も大変だと思いますが、封筒に入れて提出するはずの書類が二枚入っておらず、どこを探してもなかったので、息子に二枚入ってなかったよとは伝えていました。息子は昨日学校で書類を提出した際そのことをよく理解できていなかったようで担任の先生から二枚足りてないと言われ、今度はまたそれを私に言ってきました。それも今朝学校に行く準備をしている最中で時間もぎりぎりの時にです。「だから二枚足りてないって言ったじゃん。学校の机の中を探してなかったら先生に言いなさい」とイライラしながら同じことを何度もぐちぐち言ってしまいました。書類関係は子供にも難しいことなのに足りてない書類のことで責められても息子も訳が分からないはずなのに私はイライラしながらぐちぐち息子を責めてしまい息子も落ち込んでいました。

今日までの提出期限だった自転車通学誓約書も昨日提出してはいたんですが、私が裏面を見ておらず通学の地図を書き忘れてしまっており、それも今日の朝家を出る直前で息子が書類を出してきたのでそれにもまた腹が立ってぐちぐち息子を責めてしまいました。元はと言えば私のミスで起こっていることですし、足りていなかった二枚の書類に関しても私が一言メモを書いて担任の先生に渡すようにすればよかったのにそんなこともせず私はぐちぐち息子を責めてしまいました。息子は今も支援学級で、交流学級の子たちより足りてない部分が多いのに私のミスで起こったことを息子のせいにして朝からイライラして息子を傷つけてしまいました。

そして、私は自分でも本当にひどいことをしてしまっていると分かっているんですが、息子に対してバカという言葉を言ってしまいます。今朝もイライラしてバカという言葉を使ってしまいました。家族間なので冗談で言うならまだしもイライラしながらバカという言葉を使ってしまいました。息子も自分自身が他の子よりもできないことが多くて他の子より劣っていると自分で言っています。息子が自分に自信がないのは私のせいだと思います。私は恋愛にかまけている場合ではありませんでした。別れたサイコパスの彼のことを心配するより私はもっと自分の子供を大事にしないといけない、もっと子供への浄霊もしっかりしていかないといけないと改めて思いました。息子にイライラしてしまっても絶対にバカとは言わない、何度もぐちぐち同じことを言わないと決意しました。

昨日のブログで書くかどうか迷ったんですが、彼が私にまだ復讐心があって私が苦しむことを彼は楽しんでいると書いたのは彼のインスタグラムを見たからでもあります。昨日の夜妹が我が家に来たんですが、その時にまた妹の携帯で彼のインスタグラムを見たんです。そしたらその三日前にとても気持ち悪い投稿を彼はしていたんです。内容までは書きませんが彼は自分がSEXを楽しんでいることをアピールするようなそういったことを連想させるような投稿をしていたんです。離婚して遠く離れて暮らしてはいるものの彼自身にも子供がいますし、彼が今現在お付き合いしている女性にも思春期の子供がいるのに自分がSEXを楽しんでいることを連想させるようなことをインスタグラムに投稿するなんて気持ち悪いですし、頭がおかしいのかなと思ってしまいます。軽いのりでやったことなのかもしれませんが気持ち悪かったです。私もこのブログで彼とのそういった話を書いてしまっていますが、それは決してそういった行為を楽しんでいるだとかアピールしたいなどの意図はありません。その投稿の前日に私は彼と車ですれ違って目を合わせてしまっているんです。先月彼と電話で話した際にも私は散々彼に怒りをぶつけてしまっているので、もしかして彼のその気持ち悪い投稿は私に見せつけるためにやったのかなとも思えたんです。

こんなことまで書いてしまったらもしも彼が私のブログにたどり着く日がきた時には余計に私に殺意を抱くだろうと思います。彼は元々力が強いですが、今は毎日トレーニングをして体を鍛えているようなので、彼が私を殺しにやってくれば私は片手で彼に殺されるだろうと思います。ですが、私だって彼にひどいことをされています。おあいこだと思ってほしいです。

あんな気持ち悪い投稿を見てしまったらさすがに引きます。別の女の人とお付き合いをして楽しくやってる彼のことをいつまでも想い心配しててもどうにもならないのでこれからは息子のことをもっとちゃんとみていこうと思います。彼のインスタグラムももう見ないようにしようと思います。息子とMさんの子供が同じクラスになり、この一年何度もMさんの姿を見ないといけなくなったことはもちろん精神的にきついですが、そういったことももうなるべく考えないように努力していこうと思います。昨日見たMさんの様子からしても精神を病んでいるようには見えませんでした。サイコパスの彼とお付き合いをしていても問題なくやっているということだと思います。彼と問題なくやっていけているのであれば、できるならもうMさんにはこのままずっと私のブログにはたどり着かないでほしいです。

 

397「運命のいたずらか」令和6年4月

今日は息子が通う中学校のクラスのPTAがありました。ありえないことにMさんがいました。Mさんの顔は別れた彼のインスタグラムで見て知っており見た瞬間Mさんだと分かりました。一学年七クラスもあるのでまさか子供同士が同じクラスになるとは思っていなかったのでとても驚きました。予定していなかった専門部の部長になったためそのことで緊張もしていたんですがMさんのことが気になってしかたありませんでした。地獄のような時間でした。私はこの一年Mさんの苗字なんて知りませんでしたがMさんは私の苗字も彼から聞いて知っていたでしょうし、顔だって知っていただろうと思います。私は今でも彼に対していろんな感情を持って生活しているのに彼が今現在お付き合いしているMさんの子供と私の息子が同じクラスになり、PTAでMさんと一緒になるなんて地獄でしかありません。

こんな辛い思いをしないといけないならもうサイコパスの彼の心配をするのなんてやめてしまおうかとも思います。人を殺して人の肉を食べた話をする彼のことをMさんはどう思っているのか、彼はその話をMさんにはしていないのか、それをMさんに直接聞いてみたい気持ちもあります。PTAのあとスーパーに寄ったら偶然そこでもMさんを見かけました。駐車場でもMさんを見かけたのでもうこれはおもいきってMさんに声をかけようかとも思いましたがやめました。

彼には人としてありえない残酷なことをされた上に今年は何度もMさんの顔を見ることになりました。先月彼と電話で話してたくさん彼に怒りをぶつけた際にもMさんとずっと付き合っていくつもりならMさんを連れてどこか遠くに引っ越してくれないかと言ったんですがもちろんそんなことはしてくれるわけもなく、結局こんな地獄のような目にあいました。先月彼と電話で話した際も彼は「復讐心なんてなかった」と言い張りましたが絶対にそれは嘘だと思っています。彼は今でもまだ私に復讐心を持っていると思います。彼は女を自分に夢中にさせること、未練を持たせることを楽しむような人間です。私が彼とお付き合いをしていた時も彼は彼に好意をよせている女の人とラインのやり取りをして、ちゃんと飲みの誘いや告白を断ってはいましたが、「俺のことをずっと想っていればいい」と私に言ったんです。その時もなんて残酷な男なんだろうと思いました。

先月彼と電話で話して散々怒りをぶつけたもののあとからラインでやっぱりまだ好きだと伝えてあります。Mさんと別れた時には連絡くれたら嬉しいですとまで言っています。それを伝えたのは彼が私にラインを送ってきたのはもしかしたらMさんとの関係が上手くいっていなくて、それならまた彼とやり直せるんじゃないかと思ってしまったからです。彼は私が彼に未練があることが分かっておそらく楽しんでいると思います。彼がサイコパスだと分かっているのに彼のことを嫌いになれません。サイコパスだからこそ彼のことを助けたい、歪んだ彼の心を真っ当にしてあげたい、人を殺して人の肉を食べたと思いこんで生きてる彼を助けたい、彼に憑依している黒龍が抜けるように浄霊をしてあげたいと思う気持ちがあるため私は彼のことを忘れることなんてできないんです。

そんな私の気持ちなんて知らず彼は私とMさんの子供が一緒のクラスになって内心楽しんでいるんじゃないかと思います。私が苦しむことを彼は楽しんでいるんだと思います。彼はよく悪魔モードになるので彼の考えることは想像できてしまうんです。

残酷なことをされて苦しみを抱えながら私はまだ彼のことを心配してしまうのか、まだ彼のことを想ってしまうのか、自分がどうすればいいのか分かりません。

 

396「お伊勢参りと狐霊が抜けた父」令和6年4月

三月三十日から四月一日の二泊三日で家族でお伊勢参りに行ってきました。息子と妹と甥っ子、そして今回は父も一緒でした。初日は中部国際空港から高速船で三重県の津市まで行き、そこからレンタカーで二見興玉神社に行きました。その日は鳥羽にあるホテルに泊まり、鳥羽湾の美しい景色を眺めながら食事や露天風呂を楽しむことができました。

二日目は伊勢神宮外宮、猿田彦神社伊勢神宮内宮を参拝しました。内宮の正宮は天照大神の和御魂、荒祭宮には天照大神の荒御魂が祀られているとあり、ネットで調べると天照大神の荒御魂は瀬織津姫で、内宮の荒祭宮には瀬織津姫が祀られているとありました。まるで和御魂と荒御魂が別人の神様であるかのように読み取れる書き方ですがどちらも同じ神様のはずです。正宮の和御魂も瀬織津姫を祀っているなどと書いてしまったら大変なことになるので濁してあるのかもしれませんが日本の歴史はおもしろいなと思います。歴史というのは時の権力者によって書き換えられてしまうものなのかもしれませんが、夜の時代は天照大神も隠退していたと捉えれば代わりに奥さんが大々的に祀られてきたこともそう間違いでもなかったのかなとも思いました。その日は外宮の近くのホテルに泊まりました。料理も美味しかったですし、ホテルの作りがおしゃれで楽しめました。

三日目は最初の予定では別の神社に行く予定だったんですが、つい先日掲示板で一番さんが朝熊岳金剛證寺のことを書いてくださっていたのでぜひそこへも行きたいと思い、三日目は朝熊岳金剛證寺に行きました。お寺に入ったらすぐに天照大神の少年の時の姿の雨宝童子を祀る雨宝堂がありました。こんなに小さな御堂なのにこんなところに本物が祀られていたのかぁと感動しました。

今回のこのお伊勢参りは半年前から計画しており、楽しみにしていたことだったんですが、私にとっても妹にとっても一番の重大事は父も一緒に行ったことです。父は一年前から再び精神病院に入院しています。施設が管理するアパートで一人暮らしをしていたんですが、止められていたにも関わらず毎日こっそりお酒を飲むようになり、何度も警察沙汰になるような問題を起こし、また以前のように大声で発狂するようになってしまったからです。そして、入院した最初の頃は出された薬は捨てていたそうですが、病院から注意を受け父は薬を飲むようになってしまいました。そして父は薬の副作用でパーキンソン病になってしまいました。ゆっくりではあるもののなんとか自分で歩けるということだったので、今回外泊許可を得て父も一緒にお伊勢参りに行きました。

この二泊三日の旅行で私が一番驚いたことは父が一言も人の悪口を言わなかったことです。口を開けば声を荒げて人の批判ばっかり言ってるような人間だったのに、父は一言たりとも人の悪口を言わず、遠慮がちな父本来の姿が最初から最後までずっと続いたんです。狐霊が抜けていたんです。副守護神の天狗と狸霊もおとなしくしていました。去年の八月に息子を連れて父に面会に行った時には薬の副作用でパーキンソン病になって迫力はなくなっていたものの相変わらず親戚の悪口を言っていました。薬で興奮状態を押さえつけることはできても薬で心の中まで変えることなんてできないとその時そう感じました。それから数日間は父への遠隔浄霊に取り組みました。

日が経つと父への遠隔浄霊もまたしだいにしなくなってしまい、今年に入って最初の頃、一月上旬に一度父に浄霊をしたい気持ちがわき起こり父に遠隔浄霊をしました。自分のブログをいくつか読んでいたら父の話が出てきてそういえば狐霊がまだ憑いたままだったと思いだし、その時は父に憑依している狐霊が抜けるように願いを持って遠隔浄霊をしました。欠伸がたくさん出て父に浄霊が届いているのが分かりました。たしか一月の下旬だったと思いますが、妹が父に洗濯物を届けに行った時に私も一緒に行って父に面会しました。その時の父も一切私や親戚の悪口を言うこともなく穏やかだったんです。なので、その時からもしかしてと思う気持ちがありました。そして、今回二泊三日父と一緒に過ごし、やっぱり狐霊が抜けてると確信しました。

父に狐霊が憑依したのはおそらく救世教に入信してからだと思います。伯母からの勧めで救世教に入信し、信者同士の紹介で父と母は結婚しています。父に狐霊が憑依し父が長年父方母方の親戚の悪口を言い続けてきたことは救世教の間違いを伝えるための先祖の警告でもあったんだと思っています。私が今四十一歳なので、父は四十年以上狐霊に憑依され続けてきたんだと思います。それが今年に入りようやく御守護いただけました。

父は現在入院しているため毎日薬も出されています。普段妹が父を連れて外出する時に病院から渡されている薬は妹が毎回父に言って捨てています。今回の旅行に際し病院から出された薬ももちろん飲んでいません。ですが、普段父が病院で出される薬を飲んでいるかどうかは分かりません。何度も父に聞こうかと思ったんですが妹に止められました。

父を病院に入院させてしまったことも辛いですし、薬を飲ませないでほしいと病院に言えずにいることも辛いです。何度も警察沙汰になってしまってからの入院だったので妹も病院に薬を使わないでほしいとは言いづらかったんだと思いますし、私も父のことは妹にまかせっきりだったので何も言えませんでした。もしかしたら父は入院した最初の頃と同様今はまた出された薬を飲まずに捨てているかもしれませんがちゃんと確認していないので分かりません。旅行先で父が妹に病院から渡された薬を「捨てるだろ?」と言ってはいました。

父が最初に精神病院に入院したのは今から六年前の四月でした。メシヤ教を通じてサタンに憑依され、毎日お酒を飲むせいで父の副守護神の天狗と狸霊も毎日大暴れし、父に長年憑依していた狐霊と猫霊による大発狂もあり、ご近所を巻き込んでの大発狂がエスカレートしてしまい、お酒を飲めないようにするために父を預かってくれる所が病院しかないため入院にいたりました。そして、その時には父に薬を飲まさないように病院の先生に頼み込みました。父は明らかに宗教を通じて邪神に憑依され狂人と化しました。それを薬で押さえつけようとしても何も根本的な解決にはならないです。神様から御守護をいただかないと邪神は抜けないです。

今の父を見るかぎりすでにサタンは抜けていますし、以前書きましたがおそらく猫霊も抜けています。今年に入ってようやく狐霊も抜けたんだと思います。ようやく狐霊が抜けたということはその元にあるメシヤ様御昇天後邪神に支配されてきた救世教の終わりを意味するものでもあるように思えます。

父については今後どうすればいいのか今もまだ決められずにいます。パーキンソン病になってしまった父は今はもう入院以前のように大股でしゃきしゃき歩くことなんてできません。どうにか自分で歩くことはできますがとてもゆっくりです。右手は常にがたがた震えています。左手も右手ほどではないですが震えています。オムツもしています。今の父はもう介護なしでは生活できなくなってしまっています。邪神が抜けて発狂することもなくなり親戚知人の批判もなくなったのであれば私が父の世話をしながら父と一緒に生活していけばいいのかもしれませんが、いくら父の精神状態が落ち着いたとはいえ私はもう父と一緒に生活したくありません。七年前に性的なことで父にされたことはどうやっても記憶から消すことなんてできないのでどうしても無理なんです。

二泊三日の旅行では父の歩調に合わせ父を気遣い、ホテルのバイキングの料理も父の分は全部私が父の食べたい料理をとって回り、夜は父に浄霊もしました。二泊三日程度のことなら難なくできますが、毎日そういったことができる自信がないです。妹も父と一緒に生活することを考えてくれてはいますが、邪神が抜けて発狂することはなくなってもパーキンソン病になってしまった父と生活することは覚悟のいることなので決断できずにいます。薬を出されずに暮らせる施設に入居できればいいんですが、どこの施設も病院と連携しているので施設を探すのも簡単にはいきません。

七年前に父にされたことで当時は本気で父のことを八つ裂きにして殺してやりたいと思っていましたし、早く死んでほしいと本気で思っていました。早く死んでほしいと願う一方で邪神が抜けた父の姿を見てみたいという願いもありました。苦しみが緩和できるように自己浄霊をして自分自身も御守護もいただき、今年になってようやく狐霊が抜けた父の姿を見ることができ願いが叶いました。ですが、退院した父と一緒に生活する覚悟はないというのが今の現状です。

 

395「感情と体温」令和6年3月

三月十八日です。前回ブログを更新してから二ヶ月近く経ちました。本当は書きたい話はいくつもあって途中まで文章を作っていたのにネット検索をしていたら興味のある話が出てきて何日も続けてそちらの方に没頭してしまうということなどが起こったりして文章が完成せず、この話はまだすべきじゃなかったのかなという結論にいたり結局二ヶ月近くブログの更新もできませんでした。私のプライベートの話であればいつどんな話を書いても問題ないと思うので今日はまた別れた彼の話を書きます。

一昨日の夜別れた彼からラインが届きました。前回彼とラインのやり取りをしたのは十一月下旬だったので約四ヶ月ぶりのことでした。文字ではなくスタンプが送られてきました。彼が私にラインを送ってくるということはついに彼が私のブログを知って私を殺しにやってくるかもしくはMさんとの関係がうまくいっておらず私に浮気心があってラインを送ってきたかのどっちかだと思いました。ですが、彼が私のブログにたどり着く可能性はまだないですし、ラインが送られてきたのが夜の十時だったので、おそらく浮気心があってラインを送ってきたんだろうと思いました。彼にはMさんというお付き合いしている女性がいますし、彼とのラインのやり取りで彼に惑わされるわけにもいかないので既読をつけずにそのまま返事もせずに寝ました。

その翌日の昨日は息子と妹親子と一緒に薩摩川内市の新田神社に参拝に行き、そのあとはランチをして、温泉に行って帰ってくるという予定があったので、神社参りが無事に済むまでは心を乱すわけにいかないので神社に着く前にラインのトーク画面を開き「どうしたの?」とだけ送りました。そして、神社参りをしてニニギノミコトの山陵といわれている可愛山陵へも行き、そこまで終わって車に戻りラインを確認すると彼からの返事がきていました。そこからは妹が運転する車の中で彼とのラインのやり取りが続きました。彼は前回のラインのやり取りと電話での会話で彼が私の息子が通う中学と同じ学校に通う子供がいる人と付き合っているということに関してかなり揉めたもののちゃんと和解できたと思っていたようです。ですが、私はその時の彼とのやり取りで彼のやったことを許せる気持ちなんて一切ありませんでした。なので、昨日のラインのやり取りでもまたそのことでかなり彼を責め立てました。彼と付き合っているMさんのこともはっきりと「あなたもMさんも人としてありえないことをやったと思っています」と怒りをぶつけました。

ランチをする予定だった店に着くとお客さんで満席で待ち時間があったのでその間に車から出て彼と電話でも喋りました。私が責めていることに関して彼はそれは偶然だったんだからと何度も言っていましたが、私は彼がMさんと付き合い出す当時の彼の精神状態を知っています。本当に悪魔のような精神状態でした。何人もの女の人を自分に夢中にさせて切り捨てていた彼がMさんを選んだ理由は私に復讐するためだったんだと今でも思っていますし、そのことも彼に言いましたが、彼はやはりそれを認めませんでした。そして、彼の主張は出て行ったのはそっちでこっちが振られた立場なのになんでそのあとに付き合う人のことまで制限されないといけないのかというものでした。今から一年七ヶ月前、「出て行ったら別れる、出て行ったらもう絶対によりを戻さない」という彼の言葉を聞かず、ヤクザみたいな大声で怒鳴り続けられたことに耐え切れず出て行ったのは私なんですが、それでも彼のことを忘れることなんてできず、別れてからも何度も彼と話し合ってきていたのに彼はよりによって息子と同じ学校に通う子供がいる人を選び付き合いだしました。

彼は電話で「俺女なんて信用してないもん」という言葉を何度も言っていました。それを聞くとやっぱり私はMさんは彼の私への復讐の道具に使われているんじゃないかと思ってしまいます。彼とMさんが付き合いだしてもうすぐ一年が経ちます。彼がMさんに人を殺して人の肉を食べたという話をしているかどうかは分かりませんが、彼がサイコパスであることはMさんももう十分分かっているだろうと思います。それでもMさんは彼の魔術師のような言葉に魅了されて彼から離れることなんてできないだろうと思います。

本当は私がMさんを責めるのはひどいことだとは思っています。紹介で最初に二人が会った時点では私の子供とMさんの子供が同じ中学校になるとは知らなかったそうですし、魔術師のように女を魅了するのがとても上手い彼の手にかかれば一回彼と会って彼と会話をするだけで彼に惹かれてしまうMさんの気持ちは私にも十分に分かります。なので子供同士が同じ中学になると分かった時点ではもう引き返せないぐらい彼に夢中になってしまったんだろうなとも想像できます。それを分かってはいてもやっぱり私だって辛いです。そして、私はサイコパスである彼の人格のこともずっと心配してきました。電話の最後では「あなたは二重人格じゃん。あなたの人格のことでも私はずっとあなたのことを心配してたんだよ」とも言いました。

これまでに何度もしてきた話をまた今日も長々と書いてしまいましたが、今日一番書きたかったことは体を温めることの重要性についてです。昨日は別れた彼にたくさん怒りの感情をぶつけてしまいましたが、そのあと温泉に行きサウナにも入りました。私は普段は温泉に行ってもサウナには入らないんですが、そこの温泉のサウナは窓から庭の綺麗な景色を眺めることができ、その景色に心を癒やされながらしばらくサウナに入っていました。そして、体が温まったと同時に気持ちがすごく明るくなりました。そして、彼に謝まらなきゃと思いました。

体が冷えている状態だと思考状態も悪く、体が温まった状態だとすごく気分も明るくなって楽観的思考になります。彼とお付き合いをしていた頃彼と喧嘩になってしまった時雨に濡れて体がとても冷えた状態の時がありました。体は寒いし気分も落ちてしまってこれではだめだと思い喧嘩の途中で「ちょっとお風呂に入らせて」と言い、すぐお風呂を沸かし湯船に浸かって体を温めたら一変に気分が明るくなり、自分が笑顔になりました。そして、お風呂から上がったらすぐに彼に「さっきはごめんね」と謝り、彼もすぐ笑顔になり仲直りしたことがありました。

私は喧嘩をした時にはお風呂に入って体を温めれば気分が明るくなって謝って仲直りができるという方法を体験して知っていたのに一年七ヶ月前に彼と別れるきっかけとなった喧嘩をした時にはお風呂に入って気分を変えようと何度も思ったにも関わらず私はそうせずに彼の家を出て行ってしまいました。

昨日温泉でサウナに入って体が温まって気分が一気に明るくなり彼をたくさん責めてしまったことを謝ろうと思い家に帰ってからラインで謝りました。ただ謝っただけでなく、やっぱりまだ好きだと、もしMさんと別れた場合には私に連絡をくれたら嬉しいですと伝えました。

彼がこれから先もずっとMさんと交際を続け将来的には結婚をするつもりでいるのかどうかは分かりませんし、Mさんも彼がサイコパスであることを分かった上でこれから先も彼と交際を続けていくつもりなのか二人のことは私には分かりませんが、Mさんには申し訳ないですが私の気持ちを彼に伝えさせてもらいました。彼がMさんと結婚することになったとしてもちゃんとそれは受けとめるつもりです。

 

394「破壊と建設」令和6年1月

一月二十四日です。今年の元旦は御神前で新年最初の朝拝を行ったあと朝早く家を出て大隅地方にある大崎町まで初日の出を見に行きました。いつものごとく息子と妹と甥っ子と四人で行きました。宮崎県の日南に行くか大崎に行くかを話し合い大崎に行くことにしました。私が朝目覚まし時計の音に気づかず妹からの電話の着信音で起きてしまったため家を出る時間が少し遅くなってしまいましたが、日の出の時間にはどうにか間に合いました。海岸に着くと海の上に湯気が上がっている珍しい光景を目にしました。「けあらし」というんだそうです。そして、十五分ぐらい待っていたら水平線の雲の上から太陽が出てきました。太陽がキラキラしていてとてもまばゆい光景でした。こんなに素敵な初日の出が見れて大崎まで来た甲斐があったなと思いました。

そのあとは大崎でどこか神社参りをしようと妹と話し、ネットで照日神社という神社を探しだし行ってみました。照日神社は昔は伊勢神宮と称していたそうです。今年は家族で人生初の三重の伊勢神宮参拝を計画しているので、新年早々鹿児島の伊勢神宮を参拝できてよかったなと思いました。照日神社には見通しのいい展望所があり、人もいなかったのでそこでしばらくゆっくりしていました。今年は辰年なので、今年は龍神の大活動の年になるんだろうなと考えていました。

家に帰り着き家事を一通り終わらせ一息ついていたら夕方ニュースで地震の情報が流れました。石川県で大地震が起こり、津波警報が出され驚きました。地震は地龍の働きなんだそうですが、年明け早々すごいなと思いました。たくさんの家屋が倒れ亡くなられた方や怪我をされた方もたくさんいるようで胸が痛みました。また二日の日には羽田空港で大事故が起きました。そのニュースを見ていたらワクチンのことが頭に浮かびました。その事故の海保機の機長や管制官の方が新型コロナワクチンを接種しているのかどうかは分からないですしワクチンの副反応は人それぞれですが、新型コロナワクチンは猛毒です。毒が頭に溜まればミスの許されない場面での大きな事故にも繋がってくるんじゃないかと思えました。

最近次々にいろんなことが起こっているように思います。世の中をよくしていこうと動いてもそれを阻止しようと邪神も動きますし、個人、家族、団体それぞれ罪の清算も行われます。メシヤ様に繋がり御守護をいただいてほしいという気持ちが湧き起こります。そして、夜の文化の不用なものの破壊と昼の文化の建設は同時に行われ、最後の審判に際し一人でも多くの人を救うためにメシヤ様は世界救世(メシヤ)教を開教されているので、分裂、離脱した教団が一つにまとまる日が早く来てほしいと願っています。

先日以前の掲示板を読み返してみようと思いしたらば掲示板を見ました。今現在の掲示板は一つの波紋3となっていますが、以前の一つの波紋その2は「したらば掲示板」に内容が移行されています。したらば掲示板の「明主様 一つの波紋 その3」の中で以前の掲示板を見ることができます。あとからの新しい投稿順になっており、五千以上の投稿があるため「1から表示」に切り替え最初から読み返してみました。そして、すぐに大事なところを見つけました。傍観者さんが投稿されている31番目のメシヤ様のお写真についての投稿です。メシヤ様が座られて全身を写したお写真があるそうで、それを教団が真の一元化するまで預かっているようにとの指示を受けずっとそのお写真を大切に守ってくださっている方がおられるようです。三年も前の投稿だったので私もその話を忘れてしまっていました。早くそのお写真を拝見できる日が来ることを願います。

 

393「年の瀬に」令和5年12月

十二月三十一日です。この二ヶ月間は年末の短期募集の職場で働いたんですが、とてもいい職場でした。店長さんをはじめ一緒に働く方たちが本当にいい方たちでとても楽しい二ヶ月間でした。こんなにいい職場を体験できたことがとてもありがたいことでした。

本当は年末最後の日まで勤務になっていたんですが、息子が熱を出し、次の日には私も熱が出て最後の四日間は休みをもらいました。おそらくインフルエンザだろうと思います。熱が出て頭や体の毒素が溶けてありがたいことでした。甥っ子も熱を出していたんですが、首の後ろ、頸椎の部分を浄霊したらすぐに熱が三十七度台から三十六度台に下がったと妹が言っていました。

今日は今月書きたかった話をまとめて書こうと思います。今月中旬浄霊ヒーリング協会の關さんが逮捕されました。自分が神様になったような態度になっていたので邪神に隙を突かれてしまったんだろうと思います。被害にあった中学生の女の子にはとても気の毒に思います。

つい先日は掲示板に久々に東山さんが投稿されていました。浄霊ヒーリング協会についてのユーチューブを紹介されていたので見てみたらおもいっきり私のブログの批判までされていたのでうわーっと思いました。気持ち悪いだのばかだの言っていたのでちょっと傷つきましたがそのユーチューバーの方は霊的なことなどは一切信じない方なんだろうと思いますし、実際にスピリチュアル系は偽物が多いのも事実だと思いますし、私のブログを初めて見る方があんな文章を読めば気持ち悪いと思うのも当然のことなんだろうなと思いました。

あともう一つ書きたかったことは「三救」というメシヤ教の三重支部の責任者だった方のブログについてです。メシヤ教が邪神の霊憑りを信じておかしくなる前までは三重支部のメシヤ講座も毎月読んで勉強させてもらっていました。楳木先生が亡くなられてからは三重支部の方のブログを見ることもほとんどなかったんですが、先日久しぶりに読んでみました。

まず、三救のブログを読んで気になったのは「浜松神界通信」というものの存在です。今月の月次祭での話の中にも少し浜松神界通信の話がありましたし、先月の月次祭での話の中ではさらにその話がありました。メシヤ教関係者の中では未だに霊憑りがあるのかと驚きました。詳しく分からないまま書くわけにもいかないので、今日は数時間かけてその浜松神界通信というものの内容を探しました。どうやらその浜松神界通信というものは昔にあったもので、それを借りてきて書き起こしているようでした。ですがやっぱりそれも偽物だと思います。なぜそんなに霊憑りを信じてしまうんだろうかと疑問に思います。神界からの言葉があると安心する、これからの方向性が分かるといったような気持ちがあるのかもしれませんが、必要なことは全て御教えに書かれているとのメシヤ様の御言葉もありますし、本当に困った時には御神前でメシヤ様に祈れば答えはいろんな形で導き出されます。見えない霊の言葉を安易に信じ込むのは危険なことなのにメシヤ教関係者がそういった霊憑りを信じてしまっていることをとても残念に思いました。

そして、先月の月次祭での話の中にこれは私のことを言ってるんだろうなと思う箇所がありました。

「先程の浜松神界通信の続きの話になりますけども、男で初めて女で終わるという話、ある意味、先生が初められたメシヤ教を終わらせたのも女性だと言えるのではないかなと。(省略)

皆さんがどのように考えられようと、自由であります。

私達は御教え、メシヤ講座、浜松神界通信を受け継いでいます。」

という部分です。話が省略されていたのでどんな話をされていたのかは全く分かりませんが、三救責任者の方はおそらく私に対していい感情はないんだろうなと思いました。三救責任者の方が私のブログを読んでくださっているのかは分かりませんが、私と楳木先生との衝突に関してはブログの中でも説明していますし、そのあとに起こったこともすべてブログに書いているのでもうこれ以上説明できることもありません。

御教えを熟知されてる方は全国にたくさんおられると思いますし、三救責任者の方もその一人だと思いますが、霊憑りを信じるのはやめた方がいいと思います。

年の瀬にまた批判のようなことを書いてしまいました。ですが、言わないわけにもいかないので書かせてもらいました。

 

392「怒りのラインと彼との電話」令和5年11月

十一月二十六日です。昨日は仕事が休みだったので、不燃ごみを捨てにゴミ収集場に行きました。そしたらそこで偶然別れた彼に会ってしまいました。私は彼とは目を合わさないようにしたんですが、彼はぱっと手を上げてから去って行きました。私は今もまだサイコパスである彼のことを心配している反面人としてありえないことをやった彼に対する怒りの気持ちも抱えているため彼と会っても目を合わせて挨拶をするなんてできませんでした。

彼と最後に会ったのは四月なのであれからもう七ヶ月経っています。その間にも彼とは何度か車ですれ違ったことはありました。そのたびに彼はぱっと手を上げて挨拶をしてくれていました。私も一度は手を振って返したことはありましたが、彼が私への復讐心で息子と同じ中学校に通う子どもがいる人と付き合いだしたんだと考えるとどうしても腹が立ち目を合わせることができませんでした。三月頃彼に会った時に「俺は悪魔に魂売ったんだよ」と悪魔モードの彼は言ったので、それがこのことだったんだろうとは思っています。彼に対してはこんな人としてありえない残酷なことをしておきながらよく平気な顔をしていられるなと不信感もあります。彼がくずだということは分かっているんですが、私がどうしても気になっていたのは今現在彼とお付き合いをしているMさんのことです。Mさんは自分の子供と彼と別れた私の子供が同じ中学校になると分かっていた上で彼を紹介され付き合うことを決めたのかどうかということがどうしても気になっていました。この苦しみは国武彦からの命令を受けた白狐による奉仕だったんだと分かっていてもやはりどうしても苦しみは消えずにいました。

昨日偶然彼に会ってしまったことで彼への怒りがまた沸々と湧いてきてしまい、夕方彼に「お久しぶりです。今日はタイミング悪く会っちゃってごめんね。確認したいことがあるんだけど、今付き合ってる人って○中に子どもがいる人だったの?」とラインを送ってしまいました。ですがなかなか既読はつきませんでした。Mさんを傷つけないために彼はもう私のラインを見るつもりもないのかもしれないと思いました。

息子が中学校を卒業するまであと二年四ヶ月あります。それまでずっと私はMさんのことを意識し続けてしまうだろうと思います。体育祭や他の学校行事があるたびにMさんのことを考えてしまうだろうと思います。九月にあった体育祭の時にはもしかしたら彼が来るんじゃないかとものすごくもやもやしました。もしも彼が体育祭に来たら私はもう耐えきれず怒りのラインを送ってしまっていただろうと思います。もしくはその場で彼に文句を言いに行っただろうと思います。ですが、体育祭には彼は来ていませんでした。体育祭を見に行くほど彼はまだMさんの子供と仲が深まっていないんだろうと思います。というより彼はもう本当は子持ちの女の人とは絶対に付き合えないというレベルの精神状態だったはずです。立て続けに子持ちの女と付き合って子供のことで喧嘩して別れて彼は彼なりに本当に苦しんだはずです。もう絶対に子持ちの女の人とは付き合えないはずなのにまた彼は子持ちの女の人と付き合っています。それはやはり私への復讐心があったからだと思っています。

もう彼からのラインは返ってこないのかもしれないと思っていたら昨日夜十一時頃彼からのラインが届きました。

「お久しぶり!無視したので教えません。そして。聞かないほうがいいでしょう!

俺も今病院に通い始めて一年経とうとしてる。やっと自分に向き合えてきてる。

人と考え方が違ってたから悩んでたけどなんで人が信用できないのか自己分析してわかった。恋愛もなんで上手く出来なかったかわかった。そして今一歩一歩登ってる。今自分の限界にも挑戦してるところ。だからそっとしておいてほしい。」

という内容でした。そしてすぐに電話もかかってきました。彼には私の息子と同じ中学校に通う子供がいる人と付き合っているという話は誰から聞いたのかと聞かれました。それは相手にも迷惑がかかると思い最初は言いませんでした。彼はあまりにも残酷なことをしたにも関わらずそのことを悪びれた様子もありませんでした。そして、ラインでも送られてきたようにこの一年精神科に通い続けて自分自身を見つめてきたんだという話を長い時間語られました。依存症の人達と語り合っているんだそうです。彼には彼の苦しみがあり、一年も精神病院に通い続けていているんだということは分かりましたが、私が彼に怒りのラインを送ったのは彼がやったことが本当のことなのかどうかを彼自身に確認するためです。彼には根掘り葉掘り問いただし彼が今付き合っているMさんの子供と私の息子が同じ学校だったという確証を得ました。彼に何度問いただしても彼は復讐心なんてなかったと言い張りました。ですが、絶対にそれは嘘だと思っています。たとえ復讐心でやったことだとしてもそんなことを正直に認めるはずなんてないことも分かっていますが、彼は上手いこと言い逃れをしました。

彼と話をして彼はやっぱり私が彼と喧嘩をして「出て行ったら別れる。出て行ったらもう絶対によりを戻さない」と言ったにも関わらず私が彼の家を出て行ったことを今でも根に持っているようでした。だからこそ私とMさんの子供同士が同じ中学になると分かっていた上で彼はMさんと付き合うことを決めたんだと思います。彼は「それは偶然なんだから仕方がなかった」と言いましたが、彼がMさんを紹介されMさんと何度かデートをしていた頃彼は私ともまだ関係が続いていました。それにも関わらず彼は私との関係を切り私の息子と同じ学校に通う子供がいるMさんと付き合いだしたんです。

彼には謝罪を求め一応謝ってはくれましたが、彼には心から私に悪かったと思う気持ちなんてないと思います。彼にはMさんとお付き合いをずっと続けていくならMさんを連れてどこか遠くに引っ越してくれないかとも言いましたが、子供が中学生の間は彼もMさんも結婚するつもりはないんだそうです。Mさんも当然私の存在は彼から聞いて知っており、子供同士が同じ学校なので嫌な思いをしているんだそうです。だったらなんで彼と付き合うことを決めたのかと言いたくなります。

彼とは結局一時間半ぐらい電話でしゃべりました。最後の方には彼は私に対し浮気心を出してきました。さすがに私にはそんなことをする気はなかったのではっきりとそんなことはしないと言いましたが、Mさんに捨てられた時には私に戻ってきてもいいからねと言っておきました。

Mさんが私のブログを知る日が来るのかは全く分かりませんが、彼はMさんのことを大事に思っています。Mさんも彼に夢中になっていて何度彼と別れ話になっても彼から離れることはできないだろうと思います。Mさんには存分に彼との恋愛を楽しんでほしいと思っています。ですが、いつかはMさんもサイコパスの彼に疲れきってしまう日がくるだろうと思います。彼の恐ろしい発言に凍りつく日がくるだろうと思います。

自己中で残酷なことを平気でやるような人間ですが、それでもまだ私には彼を心配する気持ちがあります。もしもMさんがサイコパスの彼に疲れきって彼と別れたならその時には捨て犬となった彼を私が拾うと思います。いつかは彼を想う気持ちも彼を心配する気持ちもなくなる日がくるかもしれませんが、今はまだサイコパスの彼のことを心配しています。