123「平成三十年三月三日」 平成30年3月

平成三十年三月三日、ついにこの日がやってきました。メシヤ教の方々は邪神による霊憑りを信じ、邪神の言うがままに平成三十年三月三日にメシヤ降誕本祝典を行うことを意義のあるものだと信じ込まされてきました。メシヤ教には狐、龍神、鬼の三巨頭が集結していますが、一つ目的を果たした三巨頭は今後はどうするつもりなのか、メシヤ様は三巨頭をどのようにされるのか、邪神に負けてしまったメシヤ教をどうされるのか、私がメシヤ教に対してできることはもうこれ以上はないと思っているので今後の行方を私は見届けることしかできません。

メシヤ教が邪神の言うがままに操られたせいで、三月三日のメシヤ降誕本祝典の日が汚されたように私は思えてしまいます。それにそもそも私はメシヤ降誕本祝典は一度だけでいいと思っていました。メシヤ教が初めてメシヤ降誕本祝典を行ったのは今から三年前の平成二十七年の三月三日でした。そして、私はその日の祭典終了後にメシヤ教の入会届けを御神前に上げさせていただきました。そして、とても恐れ多いことなんですが、それは本来メシヤ様が現界でされるはずだった御神業を私が引き継がせていただくという意味合いもあったと私は受け止めていました。

そのことについては楳木先生とは何も語ったりはしていなかったんですが、楳木先生はおそらくそれを分かっておられたと思います。ですが、そんな大役を私はいったいどうすればいいのか、私は何をすればいいのか、自分の思ったままのことを楳木先生に伝えていいのかどうか戸惑い悩みました。喋ることも苦手、人前に出ることも苦手な自分にできることは伝えたいことを文章にすること、自分の体験談を作ることだと思いました。楳木先生は私がメシヤ様から御神命をいただいたことも私が許す側の魂であることも分かっておられたはずです。それなのに楳木先生には私が作った体験談を出さないように仕向けられました。その後楳木先生は邪神に隙を突かれ霊憑りを信じおかしくなってしまわれましたが、そうなってしまったのは私のせいなんじゃないかという思いが今でもあります。ですが、楳木先生に御神業の妨害をされたという事実に変わりはありません。