14「私が父に優しくできない理由」 平成28年10月

十月半ば、二日間機嫌が良かった父がまた発狂しました。きっかけは私が父の食事を皿に注いであげなかったことだと思います。その日の朝、父はご飯を食べずに出かけて行き、帰って来た時に料理はちゃんと用意してあったんですが、フライパンや鍋に入れてある状態で、それを私が皿に注いでテーブルに持って行ってあげなかったので機嫌を悪くしてしまったんだと思います。父はビールを飲んでまた発狂してしまいました。

料理は作ってあるんだから皿に注ぐぐらい自分でやってほしいという気持ちが私にはありました。その気持ちは昔からありました。一緒にご飯を食べる時にはもちろん父の分もテーブルに用意しますが、父が一人でご飯を食べる時に父に対してイライラしている時には料理を注いであけず、自分で注ぐようにさせていました。そういうところを父は「お前は冷たい。お前はいじわるだ」と言っていたんだと思います。確かに自分でもそう思います。もしも、「大好きなお父さんが突然精神病になってしまった」というパターンなら私も懸命に父に尽くすことができたかもしれません。ですが、私は逆です。発狂して家庭をめちゃくちゃにしてきた父を私は小さい時から長年ずっと憎んで生きてきました。母が亡くなったのは私が高校一年の時で、それ以来料理はほとんど妹が作ってくれるようになりました。高校卒業してからは職場の従業員食堂やまかないで食べることがほとんどで家では何も食べないことも多く、勤務時間が長く寮に泊まることもあり、妹も高校卒業と同時に家を出て行き、父ともあまり顔を合わせることがなくなり、家族みんなで食事をすることもありませんでした。父は家にいる時はお茶ぐらい入れてほしいと思っていたようですが、たまに顔を合わせても父にはいつも怒鳴り口調で親戚の悪口ばかり聞かされ、私が無愛想な態度をとるとさらに発狂するので、私は憎くて憎くてたまらない大嫌いな父親にお茶を入れてあげるなんて死んでも嫌だという気持ちでした。

私が父に優しく接するようになったのは私が実家を出て結婚してすぐの頃に父が統合失調症になってからです。幻聴で苦しむ父を見て父のことを心配し、そうなってようやく私も父への憎しみが消えていきました。一緒に生活をしていたわけではなく、時々浄霊をするために里帰りをしていた程度で、何より当時は攻撃のターゲットが私ではなかったので私も父に優しく接することができました。離婚して実家に戻って来てからはこだわりが強すぎ、妄想もある父との生活や生活費のことで言い争いも起こってイライラしてしまうことが多くなりそれが態度に出てしまっていました。料理を作っても食べる時間が違った場合、私が家にいるにも関わらず、父の食事を注いであげずにいると機嫌を悪くしていました。私はお父さんの奥さんじゃないんだし、それぐらい自分でやってよという思いがありました。それが父にとっては私にいじわるをされたという思いになっていたんだと思います。共働き世帯など世の中には料理をしてくれたり食器の洗い物をしてくれる旦那さんやお父さんはいっぱいいますが、父にはそんなことはできません。料理や洗い物ができなくても作ってある料理を皿に注ぐぐらい自分でやってほしいと思っていました。昔から私には父に対する尊敬や感謝の気持ちというものが一切なく、父に対しては苛立ちと不満ばかりが募ってしまい、そういう態度をとってしまっていました。

父には「お前は男を働かしきらん」とよく言われます。父としては一生懸命畑や庭仕事をしているんだから気持ちよく働けるようにご飯をちゃんと用意してほしいと思っているんだと思います。私としては、働かしきらんもなにも父がやっている庭仕事、畑仕事に対してはかなりのストレスがあるので、できることならやらないでほしい、庭を元の状態に戻してほしいと思っているくらいです。働くというなら外に出て働いて、雨漏りの修理代を稼いできてほしいぐらいです。そうしてもらえればいくらでも父に優しくできます。ですが、父には全くそんな気はありません。庭は全く意味のないセメントを作ったり、私の心の癒しにもなっていた綺麗だった木々を全部掘って捨ててセンスのない畑や花壇を作りだし、畑に関しても隣の家の前の市の土地を使って迷惑をかけています。

そして、父はメシヤ様の教え通りの自然農法にはしようとしません。「本当の自然農法は堆肥もいらないんだよ」と話したら腹を立てました。父には「農業をやったこともない奴が偉そうなことを言うな」と罵られました。私の言い方も悪かったんだと思いますが、発狂した時にもネチネチそのことを言われました。落ち葉を集めてきて堆肥にするだけならいいんですが、最近はもみ殻を集めてきて畑に入れています。あるかどうか行ってみないと分からないもみ殻を集めに毎日のように精米所に行っています。そして、集めてきたもみ殻をお隣の家の前の市の土地に次から次に入れて畑作りをしています。お隣の方に迷惑をかけてしまっているということを考えると私のストレスも半端じゃありません。集めてきたもみ殻には農薬だってついているだろうと思います。メシヤ様の教えでは、土がそれぞれの作物に必要なだけの栄養を作り出してくれるので肥料はいらないとあります。父のやることを私はなかなか温かい目でみることができずにいました。やらないでほしいことを一生懸命やり、食費を入れてくれるわけでもないのに「タダ飯食らいやがって」と訳の分からないことを言い、発狂している時は何度も唾をかけられ、発狂していない時でも常に私の悪口ばかり言い続ける父に明るく振る舞いご飯を用意してあげるということは私にとってはあまりにも辛いことでした。

そして、精神的に追い打ちをかけられたのは妹の言葉でした。「家にいるんだからお父さんのご飯もちゃんと用意して、お父さんに優しくしてあげてよ」と何度か言われました。当たり前の言葉かもしれませんが父の攻撃を受け、父のやることにストレスを抱え毎日精神的にとてもきつい状況で生活している私にとってはあまりにもきつい言葉でした。もう何もかもが嫌になって自分がおかしくなってしまいそうでした。妹は私が九月末に実家に戻って二、三週間ぐらい経つまでは掛け持ちでやっている仕事がある日以外は夕方六時頃までには家に帰って来ていました。ですが、職場が人手不足になり、妹の帰りは九時や十時となり朝から晩まで仕事で、妹が父に接する時間もほとんどなくなりました。私は無一文の状態だったので金銭面では妹にとても助けられていましたが、妹から言われた言葉は毎日父から攻撃を受けている私の気持ちを全く分かってもらっていない発言に聞こえました。

妹の言い分は私が実家に戻ってきたのは父の精神病を治すためと体験談を作るためなのに、私が父に冷たく接したり、ご飯を用意してあげなかったり、言い返して喧嘩したりするのであれば一緒に生活するのは無理なんじゃないか、体験談を作るために仕事をしないで家にいるのはあと先を考えてないということを言われました。たしかにその通りです。妹にも迷惑をかけて申し訳ないとも思いました。最初に実家に戻った時点ではいつ区切りがつくかも分からず、とにかくこれまでのことを何もかも全部書き記しておきたいという気持ちが私にはありました。