104「五時間発狂と班の会合」 平成30年1月

一月十八日、その日は息子の小学校の授業参観日だったので仕事を休んでいました。授業参観が終わり家に帰り、四時頃だったと思います。父が大発狂しました。大声で怒鳴り、しばらく怒鳴り続けるといったんおとなしくなり、しばらくするとまた大声で怒鳴り出すという繰り返しが二時間続きました。

そして一時間ぐらいおとなしい時間があり、その後また二時間発狂が続きました。そして、また一時間おとなしくなり、十時頃からまた一時間発狂が続きました。その日は合わせると五時間ほど大発狂しました。何度か外に出て大声を出しましたが、ほとんどが家の中での発狂だったので、外でずっと発狂されることに比べればだいぶましですが、五時間という長い時間は地獄でした。家の中で発狂していても隣近所には丸聞こえなのでまた近所の方々に大迷惑をかけてしまいました。

夕方父がおとなしくなった頃合いを見て台所で料理を始めた時には、父が台所に来てまた発狂し、鍋に入っていた料理を全部床に投げ捨てられました。私も頭にきて父の背中を叩きました。父が私に唾をかけてきたので、私も唾をかけ返しました。父が掴みかかってきたので父の手首を掴んだら掴んだ場所がよかったのか、父は身動きができずにいました。それでも無傷では済まず、その日は右手の薬指に爪を食い込ませられ出血しました。

一月十九日、その日はもう朝から父のことが心配で仕事に行くのも憂うつでした。また前日のように何時間も発狂し続けたりしないか、ご近所に迷惑をかけないかとものすごく怖くなりました。その日は妹も用事があり、朝私が出勤する時に妹をアパートまで送り、妹の用事が終わるのも夕方になると言っていたので、父を家に一人でいさせることを考えると私ももう仕事どころではないと不安になりました。仕事を休むわけにはいかないのでその日は早めに仕事をあがらせてもらいました。

家に戻ると父の精神状態は相変わらず悪かったものの前日ほどではありませんでした。前日のように五時間も発狂されたらたまらないので父に向けて二時間半ほどは浄霊しました。そして、その日は夜地域の班の会合がありました。私はもう班の人達と顔を合わせるのが気まずくて仕方がありませんでした。父がいつも名指して大声で怒鳴っている隣近所の方達に合わす顔がなく、この日の会合のことは一、二ヶ月前からずっと考えると憂うつになっていました。しかも来年度の班長は私がやることになっており、初めての班長なのに父がこれだけ酷い精神病の状態で自分が班長をしなければならないことにずっと不安を持っていました。

班の会合で次の班長の紹介となった時に父が一番迷惑をかけている近所の方に班長はしない方がいいんじゃないかと言っていただけました。私も今の状況で班長を務めあげれるほどの精神状態ではないので次の班長を断らせてもらいました。そして、父を連れて引っ越すつもりでいると班の方達に伝えました。引っ越しを考え出したのはほんの数日前です。近所の方達ももう限界を超えていると思うので父の精神病がよくならないのであればこれ以上近所の方達に迷惑をかけるわけにはいかないので父を引っ越しさせようと妹と話し合って決めました。たとえ父の精神病が治ったとしてももう近所の方達は父がいるだけで気を悪くするだろうと思います。それぐらい父はこの二年間近所の方達に大迷惑をかけ、恐ろしい思いをさせてきました。班の会合のあと、地域の会長さんを含め近所の方数名と父のことで話し合いをしましたが私が知らないことでも父はいろいろと近所の方々へ迷惑をかけていたようで、私も父への怒りと近所の方々への申し訳なさでいっぱいでした。あと一週間浄霊を続け、それでもよくならい場合は早急に家探しをしようと思いました。

その日の夜は父がまた大発狂しました。私がお風呂から上がり部屋に戻ってきてすぐ父が部屋の襖を開けてきて大声で怒鳴り続けたので私が部屋を出れば怒鳴るのをやめるだろうと思い部屋を出たところ、父に髪の毛を掴まれそのままものすごい勢いで引きずられ、倒され髪の毛を引っ張られたまま頭を足でぐいぐい踏みつけられました。妹が家にいてくれているおかげで妹が助けに入ってくれましたが、その日の父はものすごい勢いで大暴れしました。あとになって思うと、その前日の五時間もの大発狂は狐による発狂で、その日のものすごい勢いで暴力を振るってきたのはまた龍神が憑依して発狂したのかもしれません。