7「子供と二人暮らしを始めて」 平成28年10月

私が子供とアパートで二人暮らしを始めたのは三月の上旬からでした。貯金が全くない状態だったので、不動産でカードローンの手続きをして安いアパートに引っ越しました。ありがたいことに引っ越しは妹の知り合いの方が手伝ってくださり、洗濯機や電子レンジなども妹の知り合いの方達に買っていただいて本当に助かりました。私の直接の知り合いでもないのに世の中にはこんなに親切な人がいるんだなと本当にありがたかったです。そして、子供と二人暮らしの生活を始めて最初に感じたことは、昔のような不安や寂しさが全くなかったということです。私は二十歳の時に一度一人暮らしをしたことがありました。その当時はいろいろな精神障害を抱えていて毎日が苦しく、一人ぼっちの寂しさ、孤独感、誰にも助けてもらえない辛さに耐えられず、そして一人暮らしを続けていけるほどの稼ぎもなく、二、三ヶ月ほどで実家に戻ることになりましたが、今はもう精神障害を克服できたので精神の苦しみが全くない状態で生活を始めることができました。問題なのは金銭面でした。年末から二月中旬までは短期の仕事をして、二月末から私は定職に就ていましたが、公営住宅ではなく普通のアパートだったので、母子家庭にしては少しきつい金額の家賃の支払いやローンの返済で常に頭を抱えていました。母子手当や児童手当が私にとっては命綱でした。発狂する父から離れてだいぶ落ち着いた生活が送れるようになり、父には遠隔浄霊をするようにしました。父の浄霊したい個所を意識しながら浄霊しました。浄霊中は私自身があくびが出たり、額に感じたり、手がビリビリしたりして、父にちゃんと遠隔浄霊が届いていることが感じられました。ですが父の状態はなかなか回復しませんでした。

一方、楳木先生に対しては私はずっとモヤモヤした気持ちが続いていました。私は楳木先生に一言謝ってもらえるのをずっと待っていました。楳木先生への配慮が足りていなかった私にも非はあったと思いますが、どう考えても楳木先生のやったことは信じられない許せないことだと思い、私は理由もはっきり告げずにメシヤ教本部の月次祭にも行かなくなりました。私が実家を出てからも父は発狂して近所の方のことまで大声で悪口を言い、近所の方達を怯えさせてしまうようになってしまいました。そんな父だけは毎月一人で車で大分の本部まで参拝に行っていました。

楳木先生がしたことに対しては思い返すたびに「なんてことを」という心の叫びがある一方、毎月一万ずつ納めることになっていた御神体奉納金の返済が滞ってしまっていることには罪悪感を感じていました。我が家の○に丶の御神体は正式な物ではなく仮の御神体です。なかなか貯金ができず御神体の御奉斎が叶わなかったので昨年末にそれを楳木先生に相談したところ、飛行機に乗せて持ち運べるように作った小さいサイズの御神体があるとのことで、その見本用の御神体を昨年末に御奉斎していただきました。御神体を包んでいた紙だったか箱だったかは忘れましたが、鉛筆書きで見本用と書かれていたのを目にしました。御写真は通常のものです。本来は床の間に御奉斎する御神体が二十万円でメシヤ様の御写真が十万円だそうです。楳木先生からは二十万円を毎月一万ずつ納め、そのあと十万円をまとめて納めたら本来の御神体を御奉斎すると言われていました。仮の御神体とはいえ他の人はみんなちゃんとお金を貯めてから御神体をいただいているはずなのにそんなことをしていいのかと悩みました。ですが、その当時はまさかそのあとすぐに自分が楳木先生とこじれメシヤ教を離れることになるなんて考えてもいなかったので、そうなる前にメシヤ様が○に丶の御神体を我が家に用意してくださったんだと思います。ですが、借金を抱えてのアパートでの苦しい生活となってしまい、楳木先生との衝突でメシヤ教への参拝もやめてしまい、毎月の一万ずつの返済が滞ってしまいました。そのことに関して楳木先生にはお詫びのメールを送ろうと何度も思いましたが、結局自分では何もせず、妹が変わりにメールを入れてくれ、母子手当が入った時に数ヶ月分まとめて妹にお金を託し本部へ納めてもらいました。現時点でまだ二十万円の御神体奉納金は払い終わっていません。

実家を出てからも実家での毎月の月次祭、家庭慰霊祭、二ヶ月に一度の大黒様のお祭りの時には実家へ戻っていました。相変わらず昼間からビールを飲んだ状態で父が先達をし、お参りの途中にも精神状態が急変して私を攻撃するようなことを言ってきたり、親戚のことを批判するようなことを言ってきたりで、我が家のお参りはよその人が見たら驚くほどのめちゃくちゃな状態でした。それでも御神体からはメシヤ様の御光が感じられました。それに、精神病の父が妹に浄霊を取り次ぐ場合でもメシヤ様の御光は強いようで、妹は「お父さんの浄霊力はすごい」と言っていました。

月に一度か二度しか父とは顔を合わせませんでしたが、父が私を猛攻撃するようなことを言ってくると最初は我慢はしていましたが、耐えられなくなると言い返してしまい、父の精神状態も悪化しました。もう殺したい、死んでほしい、そんなことを何度も何度も思いました。妹に「もう、刺したい。だけど、私は○○(息子)が大きくなるまでちゃんと育てないといけないから刑務所入るわけにはいかない」と言ったら、妹が「だったら私が(刑務所に)入るよ」と言いました。憔悴しきっている同じ苦しみが分かる者同士の会話です。地獄のような苦しみでしたが、妹の存在が私の心の救いでした。離れて生活していても常に父の頭の中は私に対する怒りでいっぱいで、私に電話をかけてきて怒鳴り散らされることも何度もありました。