47「療育を勧められ」 平成29年3月

約半年前から息子は療育に通っています。 一昨年九月に幼稚園に途中入園してしばらく経った頃、息子が別の子の視察に来ていた療育関係者の目に止まり、幼稚園の先生からも何度か療育を促すことは言われていましたが、私は療育には関心がありませんでした。結婚生活を送っていた息子がまだ三歳だった時に夫からも勧められ数回だけでしたが療育には通わせました。私が社交不安障害やうつ病などでものすごく苦しく、極度の恐怖心を抱えながらの状態で通わせましたが、療育自体に関しては見ていていろいろ疑問を感じていました。その頃通わせていた療育には二、三歳の発達障害の子供達が十数人いました。見ていてこれはひどいなと思いました。療育では紙芝居や工作、みんなで円になって歌ったり踊ったりと幼稚園でやることと同じようなことをやっていましたが、発達障害のほとんどの子達は泣きわめいたり部屋から出ようとしていました。正直療育は意味があるものなんだろうかと疑問を持ちました。そして、息子は泣きわめいたりはしないものの歌や踊りにも全く興味を示さず、先生の話にも耳を傾けることもなく自由気ままに動き回っていました。療育はある程度は効果があるとは思いますが、根本の発達障害自体を治さなければその子も親も一生大変な思いをするなと思いました。この子達を治すには浄霊しかないなという思いがありました。

自閉症の息子との生活はもどかしく、辛いと思うことも多々ありました。こだわりが強く、自分のルールを乱されると激しいかんしゃくを起こす息子、どんなに言い聞かせても毎日猛ダッシュで家を飛び出していく息子、片言の言葉や理解不能な言葉が多く、同じ言葉を何度も繰り返す息子。もどかしい気持ちをどうにか抑え、耐えに耐えながら生活し、御守護があるたびに感激しました。自閉症の息子が浄霊や自然浄化によってどこまで伸びていくかを自分の目で確認していきたかったので療育に通わせる気が私にはありませんでした。ともあれ、幼稚園で息子が明らかに一人浮いていて、担任の先生が大変な思いをされていることにもかなり申し訳ない気持ちがありました。幼稚園の先生からは息子が小学校に上がった時のことを考えて療育を勧められていたので、何度も療育を促されている以上何もしないわけにはいかないので病院の小児発達科で知能検査を受けました。息子の知能は一歳四ヶ月ぐらい遅れているという結果でした。私がいつまで経っても息子を療育機関に通わせないことに幼稚園の先生もしびれを切らしている様子も伺え、知能検査でも一年四ヶ月知能の発達が遅れているという結果が出た以上これ以上もう療育を先延ばしにはできないと思い、息子が年長組になった七月半ば、幼稚園を通して療育の手続きに入りました。できることなら療育も利用せず息子の自閉症が良くなっていく過程を観ていきたかったという私の思いとは裏腹に療育関係者の方からは「療育に通えることになってよかったですね」と何度も言われ私の気持ちは複雑でした。

療育の手続きをした十日後、息子は手足口病で高熱を出し、布団がびっしょりなるほどの大量の汗をかくというありがたい浄化が起こりました。そして、その一ヶ月後から驚くほど知能が伸び、それまで意味不明な言葉ばかり発していた息子がちゃんと会話ができるようになりました。療育が始まったのは頭の毒素溶解により知能が伸び、会話が成り立つようになってほんの数日経ってからのことだったんです。息子を見た療育の先生は幼稚園側から聞いていたほど酷くないじゃないかと思ったはずです。そして、間違いなく幼稚園の先生は療育に通いだしたとたん息子が急に変わったと思ったはずです。なんてタイミングが悪いんだと思いました。

療育では四十分ほどの割り当てられた時間のうち三十分ほど先生と児童が一対一で行う方式で、絵カードを見て名称を答えたりパズルをやったりしていましたが、息子がたんたんと絵カードの名称を答えているのを見て息子の知能が随分伸びたことを実感できました。本当は幼稚園の先生や病院の小児発達科の先生や療育の先生に「高熱を出して頭の毒素が溶けてこの子はこんなにも知能や言葉が発達したんですよ」と声を大にして言いたかったんですが、そんなことを一切言うことができない自分がもどかしくて仕方がありませんでした。

療育の初日を終えた時に療育の先生からは息子には厳しくいくと言われ私は動揺しました。息子は四歳の時の八月にみぞおちとお腹の浄霊で激しいかんしゃくが随分治まるという御守護をいただいたものの他の子に比べるとまだまだ怒りっぽく、自分に興味のないことは言われてもせず、同じ言葉を繰り返すことが多い状態で親の私もまだまだ葛藤が続く生活をしているのに療育で厳しく指導されたらこの子は余計にかんしゃくをおこしてしまうんじゃないかと不安になりました。言葉をある程度喋ることができ、知能もある程度発達した子がかんしゃくを起こす姿はたんなるわがままな子のように見えます。初日の療育の様子を見て療育の先生も幼稚園から聞いていたよりは症状が軽いと判断されたから息子に厳しくいくと言ったんじゃないかと思います。私はただただ動揺するだけで、どういう症状の子に対して厳しく指導していく方針なのかも聞けず、息子は怒ったり厳しく言うと言うことを聞かなくなる子だということも何も説明することができませんでした。

かんしゃくを起こす子供を持つ他の親御さんがどういう教育をしているのかは知りませんが、私はそのことでは常に葛藤がありました。普通の親が怒るようなことであっても息子の場合は言ってもかんしゃくを起こすだけで、優しく言っても言うことを聞かず、強く怒ったらずっと泣き続けるだけなので、怒ってもどうしようもないという諦めがあって、怒りたくなることや普通の親なら怒るであろうことまで随分と私は我慢していました。それに、私自身がしっかりした人間でもなくだらしないところがたくさんあるのにあんまり子供に厳しくできないという思いもありました。そして、私の亡くなった母が私が小さかった頃自分の感情だけですぐカッとなって怒る人だったので、自分がされて辛かったことを自分の子供にしたくないという思いもありました。離婚する前、私がうつ病で苦しんでいる時に追い討ちをかけるように夫に苦しめられ、怒りの感情を子供に向けて何度も大声で怒鳴ってしまったことがあるので、それを悔いて息子に厳しくすることができないという気持ちもありました。私自身がいろんな思いを引きずって苦しんでおり、何より厳しくしたところで息子は余計にかんしゃくを起こすだけなので、療育が始まる直前で知能や言葉が大きく発達したばかりなのに療育で厳しい指導を受けて息子は大丈夫だろうかと不安を持ちました。ちゃんと私が療育の先生に不安に思っていることを伝えるべきだったんですが、私の動揺が大きくて萎縮してしまって何も言い出せませんでした。療育は初日から私にとってとてもストレスになりました。

案の定息子は週に一度の療育をとても嫌がりました。厳しくされるから嫌なのか、やりたくないことをさせられるから嫌なのか、その両方だったのかもしれません。かといって療育では常に厳しくされているわけではなく、褒めてもらえることだってたくさんあるわけなので、褒められてやる気を出したりもしただろうと思います。息子は療育を毎回嫌がっていたわけではありませんが、私も仕事があるので月に一度程度しか療育に付き添うことができず、「療育嫌だ。行きたくない」と嫌がる息子を無理に行かせていたので息子もストレスだったと思います。そして、家庭内では常に父が発狂する日々だったのでそのストレスまで抱えていて息子のストレスは大きかっただろうと思います。療育の先生に幼稚園に息子を迎えに行ってもらった時も息子は車に乗ることすら嫌がったり、行っても部屋に入ろうとしなかったこともあったそうです。幼稚園で友達とケンカをして気持ちが不安定になっていたり、私が仕事のため一緒に行けないことも息子の精神面に影響していたと思います。息子が療育を嫌がっていても療育は幼稚園から何度も促されて入っていたためと療育の先生からも療育を続けることを勧められていたため簡単に辞めさせるわけにもいかず私も困りストレスを感じていました。どうにかして息子のかんしゃくを治さねばと私の新たな課題ができました。