57「小学校に入学して」 平成29年6月

息子の話を書きます。今年四月から息子は小学一年生になりました。クラスは特別支援学級です。国語、算数、道徳、学活の授業を特別支援学級で受けることになりました。私は息子が特別支援学級になったことをどうしても受けいれられずにいました。息子が幼稚園の時に幼稚園の方から市の教育相談を勧められ、去年の夏と秋に教育相談に行き、そこで小学校で特別支援学級にするかどうかを問われました。浄化を経てどんどん成長していく息子を見ていて私は特別支援学級ではなく通常学級でも大丈夫なんじゃないかと思っていたんですが、幼稚園の先生から見たらそんなレベルではなかったんだと思います。教育相談で私は特別支援学級にするかどうかは幼稚園の先生の判断に任せますと答えてしまいました。そして、その後市の教育委員会から「特別支援学級が望ましい」と通知が届きました。そして、私は納得がいかないもののそれを受け入れることにしました。

確かに息子はまだ通常学級での授業についていけるほどのレベルではないことは私自身も分かってはいたので、息子のためを思えば特別支援学級の方がいいのかもしれないという思いもあり申し込んだんですが、私はどうしても自分の感情の方が表立ってしまって頭の中がめちゃくちゃになりました。悔しくて悔しくてたまりませんでした。自分で自分の首を締めたような状態になってしまいました。幼稚園側はありのままの息子の状態を市の教育委員会に伝えただけだと思うので何も悪くはないですし、幼稚園の先生に判断を任せますと言ってしまった自分が悪いのに幼稚園の先生に対して若干の恨みの気持ちを持ちました。市の教育相談でも入学前の小学校での面談でも「特別支援学級にするかどうかは保護者の判断です」と何度も言われました。自分の本心はやっぱり特別支援学級ではなく通常学級がいいと思ってはいるものの自分の思いを抑えて特別支援学級を選びました。ですが、やっぱり自分の感情を抑え続けることなんてできませんでした。

息子が通常学級の授業についていけるんじゃないかという思いを学校の面談で伝え、国語と算数の授業を通常学級で受けるようにしてもらいました。しばらく様子をみてもらいましたが、結果は国語、算数は特別支援学級の方がいいと言われました。体育の授業の時も息子は列を勝手に離れてしまうようで危ないので支援学級の先生についてもらうことになりました。言葉の発達もまだ若干遅れてはいますが、今の息子の状態は学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)なんだろうと思います。病院で診断してもらったわけではなく自分で勝手にそう思えるだけです。ただ、多動性といっても息子の自閉症の症状が酷かった時の多動と今の多動では違いがあります。自閉症は動物霊の支配力が強い分行動も人間味のない自分の思った通りの行動しかできませんが、注意欠陥多動性障害は前頭部の毒素が原因で起こる症状だと思うので、息子の髪の生え際から額にかけての前頭部の浄霊も心がけるようにしました。

五月一日には小学校の初めての授業参観がありました。国語の授業だったので特別支援学級での授業でした。息子の様子を見て、国語も算数も支援学級で受けた方がいいと学校側から伝えられたことに納得がいきました。授業はひらがなの練習でしたが、息子は何度先生から注意を受けても姿勢が悪く、何度も書き順も間違え、集中力もなく、やる気も感じられませんでした。さすがにこの子はばかなのかと思いました。一方隣の通常学級を覗いてみると、一年生の子供達が一人ずつ前に出て国語の教科書を音読していました。入学してまだ一ヶ月の子供達はこんなにすごいのかと驚きました。息子が支援学級が望ましいと伝えられたことをようやく受け入れる気持ちになれました。そして、私の新たな課題ができました。授業参観に行き息子の知能の発達がまだまだ同じ年の子より遅れていることがはっきり分かったので息子の頭を良くしなければと思いました。頭を良くするには脳天の浄霊なので、その日は夜息子の脳天を浄霊しました。脳天を浄霊すると私の額にビリビリ響きました。熱はそれほど感じられなかったものの息子は脳天に毒素がだいぶあったんだと分かりました。息子が生まれてからの六年間脳天の浄霊はあまりしたことがなかったので、私はこの六年間いったい何をやってたんだろうという気持ちでした。授業中の息子は集中力もなかったので前頭部の浄霊もしました。

それから息子はまた一段と成長しました。「勉強嫌だ」と毎日のように言っていた息子がそれを言わなくなりました。頭の毒素が溶けて先生から教わることを理解できるようになり、勉強へのストレスが減ったからだろうと思います。宿題も学童で毎日ちゃんと終わらせてくるので私も助かります。早期教育はもちろん反対ですし、早くメシヤ様の教え通りの学校教育になるように国や教育委員会の方々にも動いていただきたいですが、知能の発達が遅れている息子の成長が見られることは嬉しく思っています。