325「六年経って」 令和4年1月

一月二十七日になりました。今日は父がサタンに憑依されとてつもなく恐ろしい精神病となった日付です。あれから六年の月日が経ちました。今日の午前中に過去の日記の内容を一時間ほど読み返してみましたが、その頃は本当に地獄のような日々だったなと思います。あれだけのことをやらかした父はまだ今も生き続けています。父には本当に酷い目にあいましたが、かといって父がそうなった原因は私にあるので父を責めても仕方のないことだとも思います。六年前、私がメシヤ教の楳木先生と衝突などしていなければ父が犠牲となりサタンに憑依されることもなかったんだろうと思います。ですが、こうなることは最初から決まっていたことだったんだとも思います。父は悪のお役目の型となる人間として生まれてきたのかもしれません。今日は久しぶりに施設で暮らす父に向けて遠隔浄霊をしました。額、脳天、こめかみ、側頭部、鼻と口の間、星状神経節、みぞおち、腹部、後頭部、延髄、首回り、肩、脊柱両側、肩甲骨間部、腎臓、腰と一通りイメージしながら全体を浄霊しました。

父は今でも私を嫌っていますし、私も父にされたことの心の傷がまだ消えずにいます。私に散々暴言を吐き、唾をかけ、暴力を振るってきたことは許すことができます。ですが、私を押し倒し無理やり私の胸を見ようとしたことは私にとって生涯許せないこと、忘れることなんてできないことです。父は以前ほどではありませんが今でも精神状態が悪くなったりしています。父には本来の人間らしい姿になってほしいですが、やはり父には会いたくはありません。父のことは妹に任せっきりになっているので妹には申しわけない気持ちと感謝の両方があります。

私が離婚して実家に戻ってきて七年が経ちます。出戻り娘の私があれやこれやと父のやることに口出ししたり否定するようなことを言ってしまったため父は機嫌を損ねてしまい、そこを邪神に利用されてしまいました。ただ、やはりアスペルガー人格障害統合失調症などいろいろ障害がある父と一緒に生活していれば自分も苦しいですし、文句だって言いたくなります。離婚して鹿児島に帰ってきた時実家で生活するのではなく、父とは別に暮らし、御神前での参拝と父への浄霊の取り次ぎのためになるべく毎日実家に通うというやり方である程度父との距離をあけて父と接していれば私も父に対しそこまでイライラしなくてすんだのかもしれません。

散々ご近所に迷惑をかけてしまったためもう父を家に戻すことはできません。父を家に戻せばご近所中を恐怖で震えあがらせてしまうだろうと思います。かといって今の施設が管理するアパートでの生活に父はストレスを抱えており、そのせいで父はまた精神状態が悪くなっています。人様に迷惑をかけずに生活できるのであれば父には施設の管理下から抜けて一人で自由気ままに生きてほしいですが、借家を探すにしてもお金の問題もありますし、父が発狂しないという保証もないのでどうすればいいのかと悩んでいるところです。

まだこんな状態なのに私はもうすぐこの日記をブログを作って出さないといけません。こんな状態で出していいのかなと思います。私のような思いをする人が出ないようにという願いを込めて出すしかないのかなと思います。