91「私の罪のお詫びと父の神言」 平成29年12月

十二月十六日は私の三十五歳の誕生日でした。妹がごちそうを作ってくれたので、仕事が終わったあと夜は妹の家でご飯をごちそうになり、九時頃家に帰りました。その日は父が発狂することはありませんでしたが父のことをいろいろ考えました。いったいいつまで邪神に操られ続けるんだろうか、私のことをこれだけ責め続けるのは私に罪があるからなのかとその日もいろんなことを考えました。そして、二年半前に自分がやってしまった間違いのことを考え、自分に罪があることを認識しました。それは私が平成二十七年六月のメシヤ教の地上天国祭での発表文の中に入れるべき内容を入れなかったことです。それは二度目の体験談の最初に書いた内容ですが、過敏性腸症候群のガス漏れの便臭についてです。あまりの恥ずかしさで書くことを躊躇してしまい、半年遅れての御守護報告となってしまいました。そして、その二度目の体験談はメシヤ教の楳木代表とのこじれにより発表はなくなり、それから二年経った現在までその体験談は封印されたままです。便臭のガス漏れの浄霊の急所は尾てい骨です。同じ病気で苦しむ人達のことを考えれば恥を捨て最初の体験談に載せるべき内容でした。

半年の間同じ病気で苦しむ人達に本当に申し訳ない気持ちで過ごし、半年後の御降臨祭でようやく御守護報告ができるはずだったのにそれができなくなってしまい私も本当に心が痛みました。メシヤ様からいただいた御守護をすぐに体験報告しなかった罪が私にはあります。私は一年前にすでにメシヤ教を辞めていますし、私が楳木先生とこじれてからは私の地上天国祭での体験談もメシヤ教のホームページから消されてしまっています。ですが、「竹裕美、メシヤ教」でネットの検索をかければ今でも地上天国祭での体験談が出てきます。私はいくつもの精神障害で苦しみ、メシヤ様から御守護をいただいています。同じ病気で苦しんでいる方達がメシヤ様から御守護をいただけるように私は体験談を作り上げましたが、あれから二年半経った今でも私の体験談を読んでメシヤ様から御守護をいただかれた方が一人でもいるのかどうかということが私には何も分かりません。ですがネットで検索すれば今でも私の最初の体験談が出てくるなら誰かしら読んでくれているはずです。こんなことになるなら恥を捨てて最初の体験談に便臭について載せるべきだったと何度も何度も思ってきました。

次の日の朝、改めて御神前でそのことをメシヤ様にお詫びしました。すると父に変化が起きました。父が毎日朝拝で上げていた神言をその日から上げなくなったんです。父が朝拝の時に神言を上げるようになったのは今年の二月五日からでした。原因は私が父に不愉快な思いをさせたことにあります。メシヤ教では二月三日の節分祭で神言を奏上しています。二年前の十一月末から私は楳木先生とこじれていたため二年前の二月三日の節分祭と立春祭には参拝に行きませんでした。それで家でお参りをしたんですが、その時に家で節分祭の神言を奏上しようということになり、その時に私が父に「私が神言を上げようか?」と余計なことを言ってしまいました。神言はとても難しく、何度も練習をしないと奏上できるものではありません。その一年前のメシヤ教での節分祭の時に一度だけ聞いたことがあるだけの父が何の練習もなく神言を奏上できるわけがないので、決してでしゃばったつもりはなく親切で言ったつもりだったんですが、父はその時の私の言った言葉がそうとう気に入らなかったようでした。そして、そのちょうど一週間ほど前の一月末から父はとてつもなく恐ろしい精神病となり私が父から猛攻撃を受けることとなったんですが、父は発狂して私を攻撃してくる時にしょっちゅうその神言のことも持ち出してきました。

そして、そこから一年経った今年の二月三日の節分祭と四日の立春祭は父と一緒には参拝はせず、節分祭でも神言は上げずに天津祝詞だけ上げました。そして、立春祭の次の日の二月五日から父は朝拝で毎日神言を上げるようになってしまっていたんです。その一年前に「私が神言を上げようか?」と言ったことをずっと根に持ち続けていた父は毎朝練習をするかのように何度も間違えながら神言を上げていました。何ヵ月か経つと間違えずにすらすらと上げれるようになっていました。祝詞などはゆっくりと丁寧に奏上するものですが、父は早口で間違わずに神言を上げることに優越感を持っているようでした。

そもそも神言は三千年前に国常立尊を押し込めた人類の罪、そしてメシヤ様を押し込めた罪をお詫びするためにメシヤ教でも節分祭の時に奏上しているんだと思いますが、普段の朝拝では天津祝詞と決まっているのに私への対抗心、憎しみから毎日神言を上げている父にいつもうんざりしてきました。そして、御教えを人を責める道具にしている父は神言を上げたあとは御教え拝読の途中で私の部屋の前に来て怒鳴りかかってくることもしょっちゅうでした。清い心で毎日神言を奏上するなら私も何も不快な思いもしないんですが、父は私への復讐心、対抗心でやっているように思え本当に不快でした。約十ヶ月毎日神言を上げ続けた父がついにそれを止めてくれる日がきて一つストレスが解消されました。