198「窮地五日目、妹への不満」 令和元年6月

六月十四日、地上天国祭の前日となりました。窮地の状態に追い込まれてから五日目になりました。その日も仕事を休むことができ、父への取り組みに一日充てることができました。この窮地に追い込まれてからの記録は事細かに残しておきたかったので、忘れてしまわないうちに朝、前日の分の体験談を作りました。そして、午前中のうちに一度御神前で善言讃詞を三回奏上しました。この日は妹も仕事が休みでまだ一歳の妹の子供も家にいました。参拝中はあまりにも甥っ子が騒がしくて集中できませんでした。普段から甥っ子だけでなく私の息子もいつも参拝中騒がしく、いくら注意しようとも大人しくできないので私はいつもその状況に耐えながら先達をしています。

この五日間は父が御守護いただけるかどうかの一大事だったので集中してお参りをしたかったのに甥っ子は電車のおもちゃで遊びだし、カンカンカンとおもちゃの踏み切り音が鳴り出しました。先達をしていた私はその音が鳴り出した瞬間からそちらの方ばかり気になりだしました。問題なのは妹です。大事な参拝中に我が子がおもちゃの音を出して邪魔をしているのに妹はそれをやめさせようとしませんでした。二回目の善言讃詞が終わった時におもちゃの音を止めるように妹に言うと妹は舌打ちをしてからおもちゃの音を止めました。信じられないという思いでした。心を乱されながらもどうにか三回目の善言讃詞まで奏上しました。神様に間向かう姿勢の妹の意識の低さを痛感しました。普段の朝拝、夕拝の時も甥っ子は先達をする私の回りをぐるぐる回って遊びだします。すぐに止めてほしいのに妹は止めようとしません。私が甥っ子の腕をつかんで止めてからようやく注意しだします。普通の親なら神様事の大事な時に子供が悪さをすればすぐに止めるはずです。妹は頭がおかしいところがあると常々思っているんですが、神様事に関しては本当にもっとしっかりしてほしいと普段から思っていました。この日窮地に追い込まれた状態での大事な参拝中に妹に舌打ちされ、さすがに私も怒りが抑えきれず、こんな文章を作るのに時間を使うのはもったいなかったんですが書かずにはいられませんでした。

妹が舌打ちをした理由は私にイライラしていたからでもあると思います。病院から父を退院させるか薬や注射による治療を開始するかの決断を迫られている時に私がいつまで経っても答えを出さないので妹もイライラしているんだと思います。これまでもそうだったんですが、今回の父が病院で起こした問題のあとも病院側が薬や注射を使った方がいいと言ってきた時に妹は病院側の言うことに従って父に注射を打つことを認めているかのような発言をしてきました。病院側に薬を使った治療をしないのであればこれ以上入院を続けさせることはできませんと言われれば妹だけでなく、他のメシヤ様信仰者であっても心が揺らいでいただろうと思います。そもそも病院というのは薬や注射を使って治療をする場所なのに、そんな所に薬や注射を使わずに入院させてもらっているのは図々しいことだとも思います。ですが、注射を打ってしまえばより一層邪神の操り人形になるだけです。私は窮地に追い込まれどうすればよいのかが分からないため、この五日間ひたすらメシヤ様に御守護を求め、自分にできる限りのことをやってきました。その私の思いが妹にはそこまで理解してもらえていなかったのかなとも思います。

ですが、妹がいてくれなかったら父のことは私一人ではどうにもならなかっただろうと思います。妹には感謝しています。その日も妹は病院に電話をし、父の様子を聞いてくれました。父は落ち着いているようで面会もできるということだったので、三時過ぎに妹は甥っ子と一緒にまた父の面会に行ってくれました。父は先日十日に面会した時とは違い穏やかな精神状態で落ち着いていたようです。ですが、連れて行った甥っ子が父に抱っこされると何度も泣いたようで、そこでまた精神状態が悪くなってしまったのか、父は毛沢東がどうのこうのとぶつぶつ言い出したそうです。ですが、声を荒げたりすることはなく、冗談を言いながら隔離室へ戻って行ったそうです。

精神状態がおかしくなった時に毛沢東など歴史上の人物の名前を出すのは天狗です。父の副守護神の天狗が喋りだしたんだと思います。ですが、声を荒げることもなく落ち着いた状態でいるということは大きな御守護です。父の精神状態が落ち着いたおかげか今日妹が病院へ行った時も主治医の先生や相談員の方からの治療の催促はなかったようです。

今日も善言讃詞の三回奏上を三度と、天津祝詞の三回奏上を三度行いました。一度目の時に懲りてそれ以降は妹と甥っ子が出かけていない時や甥っ子がおやつを食べている時などに行いました。遠隔浄霊も昨日よりは少なかったですが、三度ほどは行いました。父がよくなるまでがんばろうと思います。