362「霊峰金峰山」令和5年4月

四月九日、その日は息子と妹と甥っ子と四人で南さつま市にある金峰山に行きました。妹が行ってみたいと言った場所なのでこれはまた呼ばれているのかなと思いました。金峯神社でお参りをして、そこから頂上まで登って行くと頂上から見渡す景色は最高にいい景色でした。展望所もいくつかあり、桜島開聞岳、野間岳とあちこちの山を見渡すことができました。初めて登った金峰山で素晴らしい景色を眺めることができた喜びとともにこのきれいな景色を見ることができるのもこれが最初で最後なのかなとも思いました。いつか桜島が大きな噴火を起こすかもしれませんし、そうではなく違った形かもしれませんが私が住むこの鹿児島ももうすぐ清算の時を迎えるんだろうなとそんなことを考えました。

帰り際駐車場で五才の甥っ子にちょっかいを出して遊んでいたら甥っ子に顎に頭突きされました。たまたま当たったわけではなくわざと頭突きしてきたんです。骨にひびが入ったんじゃないかと思うぐらいあまりにも痛かったので私も甥っ子の頭を叩いてしまいました。それだけでは気が治まらず甥っ子を持ち上げ甥っ子のお尻も叩きました。五才の子供と喧嘩してしまいました。私の顎にはあざがあります。二十年ぐらい前からうっすらできたあざが今では大きく濃く拡がっています。そのあざのところに頭突きを食らったので、これ以上あざが悪化したらどうしようととても不安で、痛みと不安の両方があって帰りの車の中ではずっと自己浄霊をしました。帰りの車の中で妹が甥っ子に私に謝るように何度も言い聞かせていましたが、甥っ子は一度も謝ることもなく拗ねていました。頭突きされた顎はものすごく痛かったんですが、私も甥っ子を叩いてしまったので「叩いてごめんね」と甥っ子に謝ったんですが、甥っ子は無視でした。

次の日妹が金峰山から野間岳を撮った写真と金峰山についてのネットの記事をラインで送ってくれました。金峰山は山そのものが御神体なんだそうです。そして、金峰山と同じ南さつま市にある野間岳の神様の神話もラインで送ってくれました。仲の良かった金峰山と野間岳の神様が喧嘩をして金峰山の神様が野間岳の神様にすすきで作った矢を射り、それが野間岳の神様の左目に当たり血を流したそうです。野間岳の神様も痛みと腹立たしさで気が治まらず金峰山の神様に仕返しをするために野間岳の石を金峰山の神様に投げつけたところ金峰山の神様はひっくり返って頭や腰を打ったんだそうです。それからは野間岳の麓に住む人々は左目が小さい人が多く、金峰山の麓に住む人々は腰や足が悪い人が多かったんだそうです。

この野間岳と金峰山の神様の喧嘩の話は私も妹も幼い頃から知っていたんです。私の母方の祖父母の家が現南さつま市笠沙町というところにあり、その笠沙町に野間岳があるんですが、私の母が癲癇の病気で車の免許を持っておらず、祖父母の家に行く時は二度もバスを乗り換えて三時間半ほどかけて行っていました。その時にバスで笠沙町に入っていくと決まって野間岳の神様と金峰山の神様が喧嘩をして、金峰山の神様がすすきの矢を射る話がバスの中で流れていたんです。三十年以上前に何度も聞いていた神話です。

金峰山の山に登ったのは今回が初めてだったんですが、私も妹も金峰山から見える野間岳を眺めながらその神話の話を思い出してその話をしていたんです。そして、妹が私にラインで送ってくれた金峰山から野間岳を撮った写真には野間岳を写す目の前に一本のすすきが写っていたんです。すすきは秋の季節のはずなのに四月の今写真を撮った目の前に一本咲いていたんです。まるでその神話を連想させるようだなと思いました。それを考えたらその前日に金峰山で私が甥っ子から顎に頭突きを食らい、私が仕返しに甥っ子の頭とお尻を叩いた喧嘩もその神話と重なるなと思えてしまいました。いつの時代の神話なのかは分かりませんが、その神話は何百年か何千年か前の私と甥っ子の話だったのかもしれません。もしくは甥っ子ではなく神話の喧嘩の相手は彼のことだったのかもしれません。写真に写っていたすすきは今世でもまた私と彼が喧嘩をして彼が私にすすきの矢を射ってきた状態を意味していたのかもしれません。