296「学童にお礼。怒った女性への恐怖心」 令和3年9月

九月十七日、その日私は仕事が休みで、息子が夏休みいっぱいで学童保育を退所していたためお礼の品を持って挨拶に行きました。学童を退所する際にお礼の品を持って行くのは大丈夫なのか、持って行っても返されるんじゃないかと思っていたんですが、それでもお礼の品を持って挨拶に行ったのはずっと学童の先生に対して引きずっていたことがあったからです。

以前にも書きましたが、去年の年末の十二月二十九日、通常二十八日までの預かりしかできないところを特別保育を申し込み、普段よりも早い五時半までの預かりになっていたのに私がそのことをうっかり忘れており、仕事が忙しく五時半まで仕事をして子供を迎えに行ったのが五時五十分で、時間を二十分過ぎてしまいました。その時学童の先生がだいぶ腹を立てておられ、私はその姿に恐怖し、次にその先生に会った時にちゃんと謝ろうと思っていたらそのタイミングを逃してしまい、そのままずるずるとその先生への恐怖心とちゃんと謝れなかったことへの後悔の念を引きずって過ごしてきました。その先生も二、三ヶ月ほどはずっと私に腹を立てていた様子で、私が子供を迎えに行くと「今日は早かった」と別の先生に小声で言ったり、別の先生に耳打ちしている姿を何度も見て、また私のことを言っているのかと私も精神的にとてもきつい思いをしました。

時間に遅れるということはいけないことでもちろん私が悪いんですが、問題なのはその先生が怒っている姿に恐怖し、恐怖のあまり怖気づいてちゃんと謝ることができなかったということです。私は昔気が強い女の人がとても苦手でした。恐怖で身がすくんでしまうほど苦手でした。ですが、メシヤ様に御守護をいただき自分がどんどん変わっていき、気が強い女の人への恐怖心というものがなくなっていきました。ですが、今回は別です。その学童の先生も気が強い人というわけでもありません。私が恐怖心を抱いたのはその先生が怒っている姿だったんです。

何度も思い返すのは私が四、五歳頃の記憶です。私の最初の体験談にも書いた話なんですが、私が妹と一緒に同じアパートに住む妹と同じ歳ぐらいの女の子の家に遊びに行った時のことです。私はその子とその子のお母さんの目の前でその子の悪口のようなことを妹に耳打ちしてしまったんです。そしたらその子のお母さんに「人の家でこそこそ話をしない」と怒られ、その時恐怖でいっぱいになり、その時の恐怖が残ったまま大人になってもその時の恐怖を何度も思い返してしまっていたんです。

私は最初の体験談で気が強い女の人への極度の恐怖心を前世との因縁として書きました。ですが、気が強い女の人への恐怖心とは別で、この怒った女の人に対する極度の恐怖心、これは前世との因縁ではなく、幼い時に恐怖した記憶がトラウマとしてずっと残っていたことに関係しているんだと思います。トラウマの解消の浄霊の急所は側頭部だと思います。

話を最初に戻しますが、息子は今小学五年生です。この夏休み期間中まで息子は学童保育でお世話になりました。一番最後の日にその迷惑をかけてしまった先生にちゃんと謝りたいと思っていたのにその先生に会えずまたくよくよと悩んでいたんですが、意を決し仕事が休みの日にお礼の品を持って挨拶に行きました。幸運にもその私が迷惑をかけてしまった先生がおられ、年末の出来事のこともちゃんと謝ることができました。約九ヶ月半悩んできたことがようやく解決しました。