97「真夜中に大発狂」 平成29年12月

十二月三十日、その日仕事が終わり家に帰ると父はおとなしく居間のソファーに座ってテレビを見ていました。静かな夜を過ごし、布団に入ってすぐ十一時半頃父がまた近所の方に対しての攻撃を始めました。我が家が車を停めさせてもらっている空き地の前に置いてあるごみステーションのことで怒鳴り出しました。以前元々違う場所にあったごみステーションを地主の方の許可なく空き地の前に移動させたことに父が関わっており、空き地の管理を任されている父がいつも名指しで攻撃をしてしまっている近所の方に「地主の方が怒っていますよ」と注意されたことをそうとう根に持っているようでした。私も詳しい事情はよく分からず、父に問いただしても父は大声で「俺が一人で運んだんじゃないよ」と怒鳴り狂うばかりでした。おそらく我が家の土地でもないのに父が勝手にその空き地の前にごみステーションを置く話を一部の人との話し合いだけで決めて移動させてしまったんだろうと思います。そして、そのごみステーションを父と一緒に移動させた方もその空き地の地主が父ではないということなども知らなかったのかもしれません。

居間で怒鳴っていただけでしばらくしたら父はまたおとなしくなりました。そして、夜中の十二時半、父がどすどす足音をたてて玄関へ向かい庭に出るとその近所の方の家に向けて文句を言い出しました。その時は少し大きな声で言っているレベルでした。言い終わると家の中に入り、またおとなしくなりました。その間に父はまたお酒を飲んでいたんだろうと思います。夜中の一時半、今度は父は庭に出て大声で近所の方のことを怒鳴り出しました。私もすぐ庭に出て父を家の中に入れましたが、近所中の方達を起こしてしまっただろうと思います。父を家の中に入れると気持ちを落ち着け、父にごみステーションを空き地の前に移動させることを地主の方や管理を任されている近所の方に断りもなく勝手に許可したのかどうかを聞いてみました。すると父はそんなことはしていないと言いました。私も未だに空き地の管理をしている近所の方にごみステーションの件について詳しく話を聞いていないままだったのではっきりとは分かりませんが、おそらく父は自分がしたことの記憶もおかしくなっているのかもしれません。

空き地の管理をしているその近所の方にちゃんと詳しく話を聞いて地主の方にも謝りに行かなくてはならないんですが、私も仕事の前はばたばたし、夜は息子と外で食事を済ませてから帰ることが多いので帰りも遅く、その近所の方に話を聞きに行くタイミングがなかなかありませんでした。何より私の気分が重くて行動ができませんでした。父には「お父さんが勝手に許可してごみステーションを移動させたんじゃないなら私が○○さんにそれを言っとくから」と父の見方になるようなセリフを言いました。すると父も気持ちが少し落ち着いたようでした。ですが、夜中の一時半に外で発狂して近所中に迷惑をかけた父に対する私の怒りが収まらず、そのことで父に説教するような言い方をしたら父はまた怒り狂ってしまいそれから三十分近く発狂が続きました。

そして、夜中の二時五十分、また父は大発狂しました。外でもまた大声を出したのですぐ父を引っ張って家の中に入れましたが、私ももう怒りが収まらず父に怒鳴りました。そして、父もさらに発狂し、父に掴まってしまい、後頭部を二、三回殴られました。髪の毛は事前にくくっていましたが、髪の毛を掴まれ倒され、タンスに頭をぶつけ私も大声を出して抵抗しましたが、父の勢いは止まりませんでした。ずっとお酒を飲んでいたんだろうと思いますが、ものすごく狂暴でした。私も掴まってしまった以上もう逃げられないと思い、ぼこぼこに殴られる覚悟をしました。ですが、父は私のズボンのウエスト部分をつかんできました。その瞬間、脱がされると恐怖に襲われました。ぼこぼこに殴られる覚悟はあってもズボンを脱がされる覚悟なんてできるわけがないので、髪の毛を掴まれ倒された状態でしたが、私も体を勢いよく表に向けて父の足やお腹を必死に何度も蹴りました。そして、父が手を離したのでどうにか逃げることができました。

父は「俺に顔を見せるな。おまえが顔を見せるから俺はおらぶんだ。さっさと出て行け」と叫んでいました。「私だって早く出て行きたいよ。お父さんが発狂して世間に迷惑をかけるから出て行けないんでしょうが」と私も声を荒げて返しました。このやり取りももう何度も何度もやっています。本当に私が家を出て行き、父に私の姿を見せなければ父が発狂しないのであれば私は喜んで家を出て行きます。ですが、実際は父は私の姿を見ても見なくても父の頭の中は常に私や親戚や近所の方への怒りでいっぱいの状態なので精神病とアル中が完全に治るまではどんなに苦しくても私は家を出るわけにはいきません。父がとてつもなく恐ろしい精神病になって一年十一ヵ月経ちました。あと一ヶ月の辛抱だ、あと一ヶ月耐えればきっとこの最後の審判を乗り越えることができると希望を持つしかありませんでした。

十二月三十一日の大晦日、その日は私は仕事が休みでした。父が真夜中に何度も発狂したため私が寝たのも四時頃だったので、仕事が休みで助かりました。その日は午前中に妹が家に来ました。父も寝たのはおそらく四時過ぎだっただろうと思います。父は午前中ずっと寝ていました。その間に妹が父のそばにいって父に浄霊をしてくれました。妹は父に良くなってほしいという願いを持って浄霊をしてくれたと思います。ですが、私はもう父に対して怒りの感情しかありませんでした。真夜中に何度も大発狂し近所中に迷惑をかけたこと、私の頭を何度も殴ってきたこと、私の髪の毛を引っ張って倒して私のズボンを脱がそうとしたこと、そのすべてが許せませんでした。父が午前中ずっと寝ている姿を見て、まだ死なないんだろうかと思いました。昼の一時頃父はようやく起きてきましたが、その時もなんだ生きてたのかとがっかりしました。妹は起きたのと同時に人の批判が止まらない父に対して明るく振る舞ってくれ父も機嫌よくしていました。普段から私は父とは喋りもせず、目も合わさないことが多いんですが、妹が来てくれていなかったら私と父はその日も大声で言い争いをしていたかもしれません。あと一ヶ月の辛抱だと希望を持ち、なんとか耐えていますが、私の精神面はもう限界を超えてしまっています。限界を超えていてもまだ自分が精神障害を引き起こしていないことが大きな御守護だと思えます。