24「金銭問題でまた発狂」 平成28年11月

十一月に入り父の精神状態がだいぶ落ち着き、書いておきたい体験談も大方書き終えたので、私は十一月半ばから年末の短期の仕事を始めました。そして、私が実家に戻ってからちょうど二ヶ月経った十一月二十五日に久しぶりに父が大声で発狂しました。仕事を終え、子供を幼稚園に迎えに行って家に帰ると父の姿も父の車も見当たりませんでした。電気のブレーカーを落とされており、水は外にある水道の元栓を閉められ使えないようにレバーも抜いてあり、ガスも外にある元栓のスイッチを切られており、私の部屋にある私のファンヒーターの灯油缶もなくなっていました。居間にある父が使うストーブの灯油缶もなくなっていました。父に水道とガスを止められたことはそれまでにも何度かありましたが、電気のブレーカーを落とされたのと灯油缶を持って行かれたのはその時が初めてで、よっぽど怒り狂っているんだろうなと思いました。

その日は支払いの口座引き落としの日で、二ヶ月に一度の年金を一ヶ月のうちに全部使ってしまっていて父は支払いに困ってイライラしていたようです。お金を使いきるまで毎日のように飲み屋さんに飲みに行き、お金はないのにビールやお酒はカード払いで毎日買いに行き、お金がなくなれば私や妹にヤクザのような脅し方で恐喝してくる父にとても腹が立ちました。お金を貸してくれと言われて貸しても精神病でもありアルコール依存症でもある父は絶対に貸したお金を返さないので、私は二ヶ月無職で一文無しだったため貸すこともできなかったんですが、仕事をしている妹は父にお金を貸してくれと言われ精神的に疲れきっていました。私も働いて給料が入ったら父が要求してくる家賃、電気代、水道代、ガス代を払わされるだけでなく、食費を一切出さない父の分まで食費を負担し、料理を作らないといけないということを考えると馬鹿馬鹿しくてやってられないという気持ちでした。父は船乗りだったので年金も自分達が正社員として働くよりも高い年金をもらっているので、父の分まで生活費を負担する気なんて私には全くありませんでした。なんとしても父の精神病とアルコール依存症を治して、お酒の量を控えさせて生活費を分担できるようになってもらわないと一緒に生活していくのは精神的にも経済的にも無理だと思いました。

父には子供じみたあきれるほどの嫌がらせを何度もされましたが、その時に役に立ったのが携帯でした。携帯のライト機能のおかげで真っ暗な家の中でも電気のブレーカーの位置を見つけ出すことができました。その日は外にある水道の元栓のレバーを抜かれていたのでどうにもなりませんでしたが、それ以前にはレバーを残したまま元栓を開けれないようにハリガネで何重にも巻かれていたことがあり、その時には妹と一緒に真っ暗な中携帯のライトを照らしながらハリガネを外しました。水は何度も止められたことがあり、トイレの時が一番困るので、お風呂場にバケツに水を貯めておいたり、ペットボトルに水をくんで父に水を止められた時用に備えていました。電気、ガス、水道を止められ、灯油缶もどこかに持って行かれ不便な思いをしましたが、不便なことより何より恐ろしいのが、荒れた精神状態で帰って来た父が外で大声で発狂してしまうことでした。その日もやはり父は発狂しました。私の部屋の前で外から大声で私のことを淫売だのトルコ女だの○○と○○の妾女だのと叫んでいました。○○というのは父の二人いる姉の旦那さんのことですが、私が九月末に実家に戻って来て以来、父は伯父達の悪口を散々言うようになっていて、父の頭の中では私が伯父達の妾女ということになっていて散々卑わいな言葉を浴びせられてきたんですが、その日も卑わいなことを外で大声で叫んでいました。私が外に出て父を家の中に入るように話しかけると最初は怒鳴っていましたが、私がずっと父について回っていると意外とすぐに機嫌がよくなり、笑顔でニコニコしながら私のことをデブだのブスだの言ってすんなり家の中に入って来ました。

父に灯油缶を返してもらったのはそれから二日後でした。父は私のことをいじわるだと言っており、私に仕返しするために灯油缶を車に隠し、車自体も家から離れた場所に止めていました。灯油缶を隠された次の日に機嫌が良かった父が灯油缶を車に隠していると白状しましたが、雨が降っていたため取りに行かずにいました。そして、その次の日に車の中を探しましたが、灯油缶は見つかりませんでした。父のいろんな物を置いている倉庫の中も何度も探しましたが見つからず、父に返してくれるように頼むと、「お前が謝れば返してやる」と言われ、父に何度も謝らせられ、ようやく灯油缶を返してもらえました。父のめちゃくちゃな感情に対して何度も謝らせられ、かなり腹が立ちましたが我慢しました。そして、その日は父は久しぶりにまた飲み屋さんに飲みに行き、酔っ払って帰ってきました。お金はキャッシングで借りたんだろうと思います。帰って来てしばらくは上機嫌でしたが、しばらく経つとまたスイッチが入って副守護神の天狗が偉そうなことを言い出し始め何度か怒鳴りました。私は息子と妹の部屋に避難しておりそこから父に向かって浄霊をしました。私の部屋の襖を蹴る音がしたりして怖かったですが、その日もすぐ精神状態が収まり早く布団に入って寝ていました。以前に比べるとかなり良くなりましたが、御教えにもある通り副守護神による酒飲み、精神異常というのは治るまでなかなか時間がかかるなと思いました。

それから二、三日経ってまた父は妹にお金を要求しました。十二月のメシヤ教の月次祭に行くためのお金がなかったからです。脅迫するようにお金を要求してくるので、妹はストレスの限界で父に言い返し、軽く押したつもりだったようですが、父が押し飛ばされ、父はまた恐ろしいぐらい発狂してしまいました。妹は発狂している父に一万円を渡しましたが父はずっと発狂したままで、被害妄想とありもしない妄想で伯父伯母の悪口を大声で怒鳴っていました。父の記憶を正常に戻さないといけないと思い、父の右側側頭部に向けて遠隔浄霊をするとあくびが止まらず、やっぱり側頭部の浄霊は大事だなと感じました。

月次祭に行くお金がないからという理由で妹からお金を恐喝しておきながら父はその日もまた飲み屋さんに行きました。そして、帰って来てまた凶暴になり私に暴力を振るってきたので私も負けじと反撃しました。その日は父の暴力も一段とすごい勢いだったので殺られると思った瞬間メシヤ様に祈りました。髪の毛を強く引っ張られ、体もあちこち打ち付け二、三日は頭も体も痛みが続きました。反撃する時に私は爪を立てて父の腕を掴んでいたので、父の腕からはだいぶ流血していました。私の部屋に置いてあったガラスのテーブルをひっくり返されガラスが粉々に割れ、本当に腹立たしい気持ちでした。そして、その次の日もまた父は飲み屋さんに行きました。私はもう前日の父との喧嘩で体力も精神面も憔悴しきっていたので、飲み屋さんから帰って来て父がまた暴れ出したらどうしようと不安でしたが、その日は暴れることなくソファーでおとなしく寝ていました。夜遅く妹が仕事から帰って来ると父は悲しそうに妹に私の愚痴をこぼしていました。動物霊に操られていない時の父の素直な感情でした。父は発狂する時に「お前の目は汚い、お前が汚い人間だから俺はおらぶんだ」と言います。発狂する父を見る時の私の目が冷たい目をしているんだろうと思いますが、それが父をさらに傷つけ、その傷ついた心をさらにまた邪神に利用され、操られ発狂してしまうこの悪循環は本当に悪魔の思うつぼです。そうだと分かっていてももう私も精神的にも疲れきっていて、発狂して私を攻撃してくる父に対して優しい眼差しを向けることも優しい言葉をかけることもできませんでした。酒に溺れ毎日昼間っから飲んでばかりの日々を送る父の姿も情けないですが、やる気をだしても自分の土地ではないやってはいけない所に畑を作ろうとする父にイライラして優しく接することができませんでした。