195「病院での話し合いと御守護願い」 令和元年6月

六月十日、病院の先生との話し合いに行きました。先生との話し合いの前に妹と一緒に父に面会もしました。父は隔離室から病院の職員の方に面会室に連れて来られ、面会の間もずっと職員の方が一緒でした。父の精神状態は落ち着いているとは聞いていたものの相変わらず人の悪口ばかりを狂ったように喋り続けていました。時折我に返って穏やかな表情になったりもしていましたが、久しぶりに父に面会し、父が変わらずおかしい状態だということが自分の目で見て確認できました。

面会はすぐに終わり別の面談室に移り主治医の先生、職員の方々との面談が始まりました。今日の面談は父を退院させるか薬や注射を使って治療をしていくかのどちらかを選択しなければいけないという私と妹にとってはとことん追い詰められた話し合いの日でした。病院側には宗教の関係上薬は使わないでほしいということは言ってきましたが、父はもう二度も大きな問題を起こしてしまいましたし、それ以外でも普段から毎日病院の先生や職員の方々、他の患者さんに大迷惑をかけてしまっています。病院側はこれ以上私の要望を聞き入れることはできないといった様子で、「病院は治療をするところなので治療ができないのであれば入院を続けさせることはできないです」と前回問題を起こした時にも言われていました。

毎回主治医の先生との話し合いの時に同席してパソコンで話を記録している父の担当の相談員の方がいて、その方はいつも穏やかで優しい雰囲気の方なんですが、その日ばかりはさすがにいつもとは違った様子でした。父に強制的に注射を打つことを私が認めるかどうかの明確な答えをしびれを切らして待っているように見受けられました。半年ほど父の主治医だったそこの元院長先生は父に薬を使わずにいくと言ってくださいました。ですが、半年ほど前から父は精神状態がそれまでより悪くなっていたようで、その頃から新たに変わった主治医の先生は父に薬を出していました。ですが、父は出された薬を飲むふりをして捨てていました。なので先生も薬を飲ませることを諦め父は薬を飲むことなく過ごせていました。

ですが、四月二十日、そして、六月五日と大きな問題を起こしてしまったため、父には強制的に注射を打って興奮を抑えていくしかないと言われていました。四月二十日に父が暴力事件を起こしたあと、病院側との話し合いで父を別の精神病院に移すという話になりましたが、薬を使って治療することを拒否するならどこの病院も受け入れてくれないだろうとは私も妹も思っていましたし、病院側にも言われていました。今の状態で父を強制的に退院させられるわけにはいかないので病院との面談の前に妹とは治療を受け入れ病院にお任せしますと言おうと口裏合わせはしていました。そして、絶対に薬を使われないように家で遠隔浄霊をしていくしかないと思っていました。ですが、実際の話し合いの場では「もし本当に注射を打たれでもしたらお父さんは殺人を犯してしまう」と不安でいっぱいになり、私は言葉を濁しどうしても父に強制的に注射を打つことを認めることができませんでした。しばらく沈黙状態になった時にメシヤ様に「メシヤ様御守護お願いします」と心の中で必死に祈りました。

しばらくすると主治医の先生は別の用事があったようでその場を出て行かれました。いつも同席してパソコンで話を記録している相談員の方も部屋を出て行かれました。残った病院の職員の方男女二名と私と妹の四人での話し合いになりました。四月二十日の暴力事件以降父を別の病院に移すという話はしてあり、主治医の先生から紹介状は出してもらっており、その返事が明日ぐらいにはくるだろうと言われたので、それなら新しい病院に移ってから治療を受け入れますと答えました。その話を病院の職員の方も受け入れて下さったので、その日の話し合いは無事に終了しました。すぐさまその病院で注射を打たれるという事態にならずにすみ一安心して家に帰りました。

家に帰り面会で会った父の状態を思い返すと父はサタンの憑依でもなく、二体いる父の副守護神の天狗と狸でもなく狐霊に操られているように思えました。そして、あと猫霊です。面会で会った父は気ちがいのごとく人の悪口を言っていました。父が入院して一年以上経ちますが父は何人かの病院の職員の方や患者さんのことを嫌っており、いつもその人達の悪口を言っているようです。そして父は昔船乗りだったんですが、その頃の仕事仲間にも嫌いな人がいたようで、その昔の仕事仲間の悪口もいつも言っているようです。その悪口を言っている時の様子が狐の憑依によるものだと思えました。そして、父にはおそらくもう五十年以上も前から猫霊が憑依しているんだろうと思いますが、父は異常なほど潔癖です。毎週妹が父の洗濯物を父に届けているんですが、必ず病院の職員の方のチェックが入るので、父はそれを嫌い、その日も「汚い手で触るな」と声を荒げていました。お菓子の賞味期限にも神経質になっており、先週から父は隔離室に入れられているため妹が毎週届けているお菓子を食べられなかった日があったのか、「賞味期限が切れた菓子を食って俺は保健所に訴えてやる」と声を荒げていました。

家に戻ってから二、三時間後、妹に病院から連絡が来ました。希望していた別の病院から受け入れを断られたという連絡でした。病院内で何度も問題を起こし、薬による治療も行ってこなかった人間を受け入れてくれる病院なんてどこにもないんでしょうが、あっというまにまた窮地に追い込まれました。妹は「姉と相談し明日に返事をします」と答えたそうです。病院に返事をするまで一晩しかありません。御神前でメシヤ様に本音で御守護願いをしました。本音というのは私が父に早く死んでほしいと思っている気持ちがあるということです。ですが、人の死を神様に祈るわけにはいきません。それにメシヤ様を信仰していれば必ず奇跡が起きるということも信じています。「八割ぐらいはもう死んでほしいと思っています。ですが、あと二割は父が治る姿を見てみたいと思っています。どうか御守護をお願いします」と祈りました。私自身も精神的にかなり落ち込んでいる状態だったので、まずは自己浄霊で自分を癒しました。そして、邪霊が父から抜けて父の精神状態が本来の姿に戻るように私はもう夜も眠らずに遠隔浄霊をする意気込みで御神前で父への遠隔浄霊をしました。二時間ほどは浄霊をしましたが、さすがに疲れと眠気がきたので夜通しで遠隔浄霊はできませんでした。

次の日の六月十一日、その日は仕事の出勤時間が十一時からだったので、朝一、二時間ぐらいは父に遠隔浄霊をしてから仕事に出るつもりでいたんですが、こんな一大事の時に仕事に行っている場合ではないと思い仕事を休みました。そして、昨晩夜通しで遠隔浄霊ができなかった分その日一日徹底して父に浄霊をすることにしました。御神前で天津祝詞を三回奏上し、『精神病とてんかん』の御教え拝読もしました。浄霊も額と頸部リンパ腺と延髄部、肩を中心に全身を徹底して浄霊しました。

やれるだけのことはやりましたが、父がすぐによくなるかは分かりませんし、治療を始めるか退院させるかの病院への連絡はもうその日にしないといけなかったので、病院には何と言えばいいのか結局分からず悩み、御神前で祈りました。そして、仕事先から電話をしてきた妹とも相談し、「注射を打ったあとの副作用のことも心配していてどうすればいいのかまだ悩んでいるので明日まで待っていただけないでしょうか」と病院側に伝えることにしました。病院に電話をすると、運よくその日はしびれを切らしていた担当の相談員の方は仕事が休みだったようで、別の相談員の方に伝え了承を得ました。おかげでまた一日だけ先延ばしができました。