九月十日になりました。一ヶ月前の八月八日に日向灘で地震が発生し、宮崎では震度6弱、私が住む鹿児島では震度5弱の揺れがありました。その時私は勤務中で、突然の大きな揺れにとてもびっくりしました。大きな地震が起こり一番最初に心配になったのが息子の安否でした。部活から帰り息子は家に一人でいる時間だったので、息子が無事でいるのかどうか、一人で怖い思いをしていないかどうかということがとても心配になりました。家には固定電話はなく息子に携帯は持たせていないので息子と連絡を取り合うことはできません。なので妹の携帯に電話をかけました。妹は仕事も休みで運良くすぐ電話に出てくれて、すぐ我が家に向かってくれることになったのでとても安心しました。地震後しばらく経ってから仕事が再開し、仕事が終わりすぐに妹の携帯に電話をかけました。妹が甥っ子を連れて我が家へ着くと息子は地震を怖がった様子もなく平然としていて「何?」と言ってきたそうです。私は仕事が終わるまでずっと息子のことを心配していたのになんだ全然大丈夫だったのかとほっとしました。長年の雨漏りのせいで大きな地震でもくればすぐに壊れてしまいそうなほどのぼろぼろの家に住んでいるんですがどうにか家も無事でした。先月あったその地震は私が今までに経験した中では一番大きな揺れでした。災害で家が崩れるのは仕方がないにしても子供の安否というのは心配で仕方がないというのをその地震で実感しました。
その日は地震が起こる前まではずっと雷が続いていました。いったいいくつ落ちてるんだと思うほど近くでものすごく大きな雷の音が鳴り響いていました。前回のブログで速佐須良比売は地震の神だと書きましたが、それだけではなく速佐須良比売は雷の神でもあるようで、その時はあまりにもすごい雷が続いていたので速佐須良比売の働きなんだろうなと思っていました。そして、ものすごい雷が続いている最中にその地震が起こったのでその時は本当にびっくりしました。速佐須良比売の力を見せられたように思いました。前回のブログで速開都比売神社に行った時に気吹戸主神社はあるのに速佐須良比売神社はなかったと書きましたが、瀧のすぐそばに龍神社というのはあったんです。もしかすると速佐須良比売は名前を消され、ただ龍神として祀られていたんじゃないかと思いました。日向灘地震の次の日には神奈川で地震が起きました。おそらくそれらの地震は序章というか警告の意味があったんだろうと思います。
そして、八月二十八日と二十九日は家族で宮崎に行ってきました。父も一緒でした。その旅行の時に前回行けなかった速川神社に行くつもりでいたのにちょうど台風と重なってしまったためまたしても速川神社には行けなかったんですが、元々予定していたみそぎ御殿に参拝に行くことはできました。
みそぎ御殿は古くからある神社です。近くにはみそぎ池があります。天津祝詞にある筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で、伊弉諾尊が禊ぎ祓いをしたといわれる場所です。五年ぐらい前にも一度息子と妹と甥っ子と四人で行ったことがあったんですが、今回は父も一緒に行くことができました。台風は近づいていたんですが、家から宮崎に向かうまでの間は雨風はほとんどありませんでした。強い雨が降り始めたと思ったら一瞬で止まるというようなことがありました。みそぎ御殿を参拝しみそぎ池まで行っている間もぱらぱらと雨が降り出しかと思えばすぐ止まるということが二、三度あり、陽射しまではないものの雨上がりのような心地良い天気の中でまわることができました。そして車に戻り車に乗る直前から雨が降り出し、車に乗って二、三分後には強い横雨の暴風雨となっていました。すごいタイミングでの出来事だったので参拝が終わるまで台風を止めてくれていたのかと驚きました。
そのままホテルに向かい、その日は台風の中ホテルの中でゆっくり過ごしました。翌日は十一時にチェックアウトした頃には台風の雨風はもうおさまっていました。鹿児島に戻り霧島市の隼人町を通っていたらふと蛭子神社という神社の名前が目に留まりました。ヒルコは天照大神の姉神でのちのワカヒメですが、前日にみそぎ御殿に行き伊弉諾尊の家系の神様に参拝したばかりだったので蛭子神社にもぜひ行って参拝したいと思い行きました。
そして九月八日、速川神社を目指し再び宮崎に私と妹と甥っ子の三人で行ってきました。妹がネットを検索をしたら速川神社は臨時休業になってると言ったんですが私はどうしても行きたくて、せっかく宮崎まで行っても速川神社には行けない可能性があるのに行くだけ行ってみることにしました。そして、行ってみるとネットで臨時休業とあったとおり前回行った時と同様速川神社に通じる橋が渡れないよう封鎖されていました。ちょうどそこへ速川神社に行こうとされていた別の家族が来られて少し話をしたんですが、先日の台風でがけ崩れとかがあってそうした影響で臨時休業になってるのかもしれないと言っていました。せっかく行ったのにまたしても速川神社にたどり着けず残念に思ったんですが、妹が速開都比売神社に行こうと言ったので、そこから十分ほど先に行った所にある速開都比売神社に再び行きました。
速開都比売神社に着くと青い鳥居の前で黄色い蝶が出てきました。そして本殿で参拝をして次に本殿横にある神社に参拝をして、さらに進んで気吹戸主神社のそばまで行った時に今日のメインはここなんじゃないかという気持ちになりました。そして、参拝を終えて坂を下りだしたところでまた黄色い蝶が出てきてしばらく近くを飛んでいました。やっぱり今日のメインは気吹戸主神社だったんだと思いました。妹が気吹戸主神社を撮った写真にはきれいな虹色の光が差していました。
ここ最近は地震や台風のことをいろいろ調べたりしていました。地震は霊的には龍神が起こすものですが、人工地震というのもあるようで、東日本大震災が人工地震だったというのはネットで何度か見ましたが、阪神淡路大震災も人工地震だったという話はさすがにそれは違うんじゃないかと思っていました。ですが、ネットの情報を見てると本当だったのかもしれない、とも思えます。どれが人工地震でどれが違うのかなんて私には分かりませんが、そもそも人工地震は戦時中からあったようで、それが本当だとすると日本は戦後もずっとやられっぱなしだったのかと驚きました。人工地震がこれまでに何度もあったとしても神様からするとまだ小さなもので、これから清算のために本格的に開始される神々の働きは想像以上のものなのかもしれません。
それから気象操作というのもあるようで、御教えの「二十一世紀」の中でも晴天も雨天も自由に出来ることになっていて、いつ雨を降らせるかも決めることができて、風もちょうどいいそよ風を吹かせたり、樹木の根を張らせるために強風を吹かせることもあるということが書かれており、将来的にはそういったことが気象操作でできるようになるようですが、ムーンショット計画にあるような台風による大きな被害を抑えるための気象操作というのはやってはいけないことなんじゃないかと思えます。
御教えでは低気圧は霊界に溜まった曇り、汚濁の清掃作用とあり、人間の悪の心、言、行が曇りを作っているわけで、台風で大きな被害がでないようにするには人間の心、言、行が善に変わればいいわけで、それを勝手に人間が操作するのは気象を司る龍神を怒らせてしまうんじゃないかと思えます。速開都比売が嵐の神で、嵐というのは暴風や暴風雨の総称で、台風も嵐の一種なんだそうです。なので、台風の操作をするということは速開都比売の働きの妨害をするということになるんじゃないかと思えます。それに、そもそもミロクの世には悪人は残っていないわけで、そうなると必然的に台風というものもなくなるので台風の気象操作をやる意味がないということになるんじゃないかと思えます。
先日の神社参りは気吹戸主神社がメインだったと思えたので気吹戸主について少し調べてみました。気吹戸主は風の神ですが具体的にどういう働きなんだろうと思い調べたら気吹戸主は竜巻の神だとありました。竜巻は日本ではあまり起こりませんが、気吹戸主は今後日本国内でも大きな働きをされていくのか、それとも外国の方が強いのかと気吹戸主の働きが気になります。