157「教主様について」 平成30年5月

私は数年前に「一つの波紋掲示板」というサイトをよく見ていました。そのサイトの管理人はメシヤ教の庭山さんです。そのサイトを最近久しぶりに見てみました。そこには教主様のことがいろいろ書かれていました。私はいづのめ教団のことはよく分かりませんし、救世教の昔の教団事情についてもいまいち飲み込めていないんですが、教主様について私が昔感じたことと今思うことを書きます。

今から三十年近く前の私が小学一年生だたったか二年生の時の話です。私の母が箱根の聖地に参拝に行き、その体験発表を布教所の月次祭の時にしました。母が発表する前に二、三人の信者さんが前で発表しました。その方達はみんなメシヤ様ではなく教主様の話をしていました。その時私はあれ?っと疑問を感じました。そして、最後に私の母が前に出て発表しました。母は大泣きしながら何度も何度も「明主様」と言っていました。母が何の体験発表をしたのかは全く覚えていないんですが、私がその時疑問に感じたのは発表者が「教主様」の話をするのか「明主様(メシヤ様)」の話をするのかということでした。大泣きしながら発表している母の姿は娘の私から見たら正直恥ずかしいという思いがあったんですが、メシヤ様への感謝の思いが溢れた発表だったんだと思います。一方、母の前に発表した信者さん方の口からは「明主様」ではなく、「教主様」ばかりだったことが印象に残っていました。その時のことがずっと記憶に残っており、何かおかしいという思いがありました。私達が信仰しているのは教主様ではなくメシヤ様です。なのになぜ教主様の話ばかりするんだろうという思いが私にはありました。

その当時は三代教主様で、今は四代教主様ですが、率直に言ってしまうと教主様という存在があっていいのだろうかと私は思っています。メシヤ様の血筋の方に大変失礼な発言かもしれませんが、メシヤ様が御昇天されて奥様の二代様が教主になられてから教団はおかしな方向へと転落していきました。サイトの情報を見る限り今の四代教主様は教団から利用されてきた状態のようですし、私達信者が信仰しているのは教主様ではなくメシヤ様です。メシヤ様の血筋の方が教主となられると信者が錯覚を起こすことに繋がってしまうんじゃないかと思えます。

今から十年前だったか七、八年前ぐらい前だったと思いますが私は東方之光の箱根の聖地に参拝に行きました。その時に四代教主様のお姿を拝見しました。教主様が出てこられるや信者さん方は歓喜に溢れ教主様は手を振っておられました。その時ロイヤルファミリーみたいだなと思いました。教団の内部事情というのもよく分からないんですが、教主様が東方之光の祭典にお出ましになるのも珍しかったのかもしれませんし、メシヤ様のお孫さんに当たる方なので教主様のお出ましは信者さんにとっては嬉しいことなのかもしれませんが、その時も何か心に引っ掛かるものがありました。

メシヤ様が主神様であり、それは未来永劫変わらないことなので、地上に住む人類はみんないずれはメシヤ様を信仰していくようになります。メシヤ様の血筋の方が教主という籍があるとどうしても教主様が偉い人、信仰の的が教主様という錯覚が起こってしまう可能性があります。これから最後の審判が始まりますが、教団がまとまらなければ「可能な限り全人類を救いたい」と言われたメシヤ様の御心が実現できなくなります。教団はまとまらなければいけませんが教主様を筆頭とするのはやってはいけないことだと思っています。とても心苦しいことですが、教主様には御引退していただくべきだと思っています。