17「夕拝前にお酒を飲む父」 平成28年10月

父の精神状態が安定して数日経って、我が家の家庭慰霊祭のために料理を作っていたところ、あと十分で用意できるよと父に声をかけたのにも関わらず父は先祖にお供えする分のお酒を注いだあと、自分がその残りを飲もうとしました。これから夕拝と家庭慰霊祭を行おうしている時にお酒を飲みだそうとする父に腹が立ち、お参りが終わってからお酒を飲むように言ったらまた父は発狂してしまいました。私は先祖にお供えするために注いでいたお酒を父にかけられました。大声で発狂している状態ではお参りも無理だったので慰霊祭もできませんでした。

父はまた外でも親戚のことや近所の方を侮辱するようなことを叫びました。私もすぐに外に出て父の気を静めようと謝りましたがどうにもならず、近所に聞こえないようにと大声を出す父の口を必死で手でふさぎ、暴れないように父の後ろから腕を回して抑え、家の中に入るように促しました。家に入ってからも父はしばらくずっと大声で叫んでいました。私はその時にやっと腑に落ちました。父はお参りをする前にお酒を飲むことを当たり前のことだと主張します。お酒を飲んで楽しく先祖供養もするもんだと言います。私は父のそんな考え方をアル中の言い訳なんだと思い込んでいたんですが、そうではなかったんだと気付きました。アスペルガーだからそういう考え方なんだと思いました。

お酒が好きで家に帰ったらまずビールを飲むというのが習慣だった無信仰者が信仰を始めた場合にはそういった考え方にもなるだろうと思いますが、父は信仰を始めて三十五年は経っています。私が小さい頃も我が家では先に夕食を食べ、父はビールを飲み、それから夕拝をすることがしょっちゅうありました。私は子供ながらにそれでいいのかなぁと疑問に思っていました。神様に申し訳ない気持ちがありました。母もおそらくそのことでは困っていただろうと思いますが、父が怒鳴り散らすので我慢していたんだと思います。ビールを飲んでお参りをすることが当たり前のことだ、しばりつけられたような信仰はしたくないと主張する父の考え方にそれだけのレベルの霊籍なんだなと私は思っていたんですが、そういう問題ではなく、それ以前の問題だったんだとやっと分かりました。

アスペルガーの父は考え方が普通の人と比べてかなり変わっています。父は人格障害でもあるのでなおさらです。父は自分の考え方が正しいと思い込んでいます。お酒を飲んで酔っ払った状態でお参りをするのは神様に失礼だという私の言葉は全く父には理解できていなかったんです。本来の人間に備わった社会性、コミュニケーション、想像性、共感性に障害があるために父はこれまでも信仰に関することでも間違った解釈をして自分独自の考えを主張し、ずっと家族との衝突も続いてきたんだと改めて理解できました。知能に遅れを伴わない、というより知能は普通の人より上なので余計に障害だとは気づかず家族も親戚もみんな苦しんできました。もちろん自分の言い分を理解してもらえない父自身も今までの人生そうとう苦しんできたはずです。根本のアスペルガーが改善されない限り家族も親戚もみんな一生苦しむことになると思いました。子供のうちなら早く改善が見られると思いますが、すでに六十六年も生きてきたアスペルガーの父が本来の人間に備わった能力を呼び覚ますことができるのか、時間はかかると思いますが、浄霊に徹底して取り組もうと改めて思いました。