107「大発狂から丸二年」 平成30年1月

一月二十七日になりました。父がとてつもなく恐ろしい狂人となってから丸二年経ちました。二年で父の精神病が御守護いただける、二年で最後の審判の浄化が終了する、そう信じて地獄の毎日を過ごしてきました。ですがまだまだ終わりそうありません。その日は十日間ほどずっと実家に泊まり込んでいてくれた妹がいったんアパートに戻りました。その日の夜は父もおとなしかったので私もほっとしました。次の日の一月二十八日、その日は日曜日だったので昼間から一日出かけ、夜七時過ぎに家に戻りました。妹もまた泊まりに来てくれました。その日は父はどこかの店で飲んで帰ってきたようで、外用の服装で倉庫にいました。父は私の姿を見るなりまた大発狂し、庭で大きな怒鳴り声で私や親戚、近所の方の名前を出して叫びました。父はかなり酔っ払っていて叫び声もかなり大きく、夜の静かな住宅街に父の恐ろしい叫び声が響き渡りました。妹が外で大声で叫ぶ父を家の中に入れてくれましたが、しばらく経つと父はまた外に行き、近所の方のことを叫びました。父は廊下の壁も殴って穴をあけており、その他の場所も殴ったのか、腕が血だらけになっており、その血だらけの父を押さえつけるのに妹も苦戦していました。

私は父が発狂している間妹の子供を抱きながら自分の部屋から父に向けてずっと浄霊をしました。発狂が収まるように父のお腹の副守護神に向けて浄霊をしました。その日は左横腹の狸霊が特に暴れていたように感じました。そして、父の脳天に向けて浄霊をするとあくびが止まらなくなりました。アルコールのせいで父の脳内がめちゃくちゃになっているんだということがその時強く感じられました。頭の浄霊を徹底するしかないと思いました。

その日父がまた外で大発狂したことによって私と妹はもう父をこれ以上この家に住まわせるわけにはいかないと話し合いました。これ以上近所の方々に迷惑をかけるわけにもいきませんし、これ以上父を野放しにしておくと近所の方から裁判を起こされる可能性もあるからです。妹はもう父を施設へ入れることを真剣に考え出しています。父を引っ越しさせるという考えもありましたが、そうなると資金もいりますし、引っ越した先でまた近所に迷惑をかけることには変わりありません。それにどこに引っ越そうと車があれば父のターゲットになっている近所の方や親戚の家の前を毎日のように監視しに行ったり、あるいは家の前で怒鳴るかもしれません。なので引っ越しをするのは今の段階では意味がないと思います。そうなると近所に迷惑をかけずにすむには施設に入れるしかありません。

ただ、やっぱり問題なのは、アルコール依存症を治すための施設なら薬を使わない施設もあると思いますが、父はアルコール依存症だけではなくアルコールが入っていなくても発狂する精神病なのでアルコール依存症を治す施設には入れてはもらえないはずです。そもそもそういった施設は本人が自分の病気を自覚し、本人が治したいという気持ちがないと入れないはずです。父のようなとてつもなく酷い状態の精神病者を薬や注射を使わずに看てくれる施設なんておそらくどこにもないはずです。そうなるとやっぱり浄霊で御守護いただける日がくるまで耐えるしかありません。

父がとてつもなく恐ろしい狂人となってから丸二年経ちましたが、そもそも父がそうなってしまった原因は二年前にメシヤ教の立春祭で私の体験談を出すことを阻止させるための邪神の妨害でした。御降臨祭で発表できなかった体験談をどうしても立春祭では発表したかったんですが、邪神に妨害されました。私も妹ももう限界を超えていますが、二月四日の立春祭まであと一週間です。丸二年経った日に御守護いただけることを願って頑張って耐えてきましたが、その願いは叶いませんでした。あとはもう立春祭を迎えて御守護いただけることを願うことのみです。それまではなんとか耐えて父がよくなることを願って浄霊を徹底しようと心に決めました。