106「消えない苦しみと父への殺意」 平成30年1月

一月二十五日、その日も私は仕事でしたが、妹が家にいてくれました。父は朝から機嫌もよく、朝拝も父と妹は一緒に行い、そのあとは浄霊交換もしたそうです。夕方私が仕事から戻った時父は庭の倉庫で大音量で音楽を聞いていました。父が大音量で音楽を聞くのはいつものことです。そのことについても近所の方や通りすがりの方に迷惑をかけて申し訳ないという気持ちは常々あります。その日も父は倉庫でお酒を飲んでいて、家の中に入ってきてからもお酒を飲んでいたんですが、父は一切大声は出しませんでした。一人でぶつぶつ言うこともありませんでした。

一月二十六日、その日私は仕事が休みだったので家にいました。朝拝が終わると買い物に出かけるのが父の毎日の日課ですが、その日は買い物から帰ってくると父は庭でぶつぶつまた近所の方の悪口を言い出しました。大声で怒鳴るわけではなく小声で一人でぶつぶつ言っていただけですが、たとえ父が大声を出して発狂することがなくても父の私や親戚、近所の方への嫉妬、妬み、怒り、憎しみの感情そのものは常にあるんだなと実感しました。そうなると、やはり父の心のケアと浄霊を徹底していかないと父を本当に救うことはできないんだなと思いました。ですが、父の心のケアということに関しては私にはどうしてもできないという思いがあります。

あまりにも卑劣な言葉なので今まで書きませんでしたが、私が覚悟を決めて実家に戻ってきてからの一年四ヶ月の間私は大発狂する父に「○○の尻なめ女」と家の中でも外でも何百回も大声で叫ばれ続けてきました。○○というのは父のターゲットになっている親戚や近所の方の名前です。名指しで父の妄想の汚い言葉を大声で叫ばれ、その近所の方やご家族の怒りや苦しみは本当にそうとうなものだと思います。私自身はどれだけ卑劣で汚い言葉を大声で叫ばれ続けても父の妄想はどうすることもできないので耐えてきました。数えきれないほど唾もかけられ何度も暴力を振るわれ殺されかけ、つい先日もノコギリを持った父に家の中を追い回されました。家の中もあらゆる物をめちゃくちゃに壊されました。本当に地獄の毎日でした。それでもこれが最後の審判なんだと思えばすべてが終われば父のこれまでしてきたことを許し父に優しく接することができるかもしれません。ですが、私は半年前の夏に起きた出来事に今苦しんでいます。お酒を飲んで精神状態がおかしくなっていた父と掴み合いになった時に玄関で倒され父に服をめくられ胸を見られたことが今でも私の頭から離れません。それを思い返すと父には死んでもらいたいという感情が湧き起こります。

その時のことを頻繁に思い返すようになったのは二ヶ月ほど前からです。その時のことを思い返すと苦しくてたまらず、父のことを八つ裂きにして殺してやりたいと思っていました。今は自分が殺すのではなく何らかの形で死んでほしいと思っています。二ヶ月前に比べれば少しだけ父への怒り、憎しみが減ったとは思います。十代、二十代で自分の父親にそんなことをされていれば私も今以上に精神を病んでいただろうと思います。もう私も三十半ばのおばさんですが、それでも自分の父親にそんなことをされればたまらなく苦しいです。常に父に死んでほしいと思っているわけではなく、普段は父が良くなることを願って前向きに頑張っています。ですが、仕事のストレスも重なり体に不調が起こってくると私も父に対し怒りの感情が抑えられなくなり父に死んでほしいと思ってしまいます。なので、とてもじゃないですが今の私には父の心のケアなんてできません。

自分の体の不調を治すためにその日の夜は自己浄霊をしました。左右両方の腎臓下部に痛みがあり、しばらく浄霊をしたら憂うつな気分も解消されだいぶすっきりしました。ですが、父への憎しみが簡単に消えるわけではありません。父がしたことの罪をメシヤ様はどのように裁かれるのか、それはメシヤ様におまかせするしかないんだと思いました。