12「メシヤ教をまだ辞めることができない理由」 平成28年10月

メシヤ様からチャンスをいただいてやっと落ち着いたと安心していたらまた二日後父は発狂してしまいました。何ヶ月か前からではありましたが、父の車はタイヤのベルトが歪んでいて、発進時にキーキー大きな音がなっていました。父に車に乗せてもらっていた時にその音がだいぶ酷かったので、修理に持って行くように勧めたら突然また発狂してしまいました。修理をしたくてもそのお金がないからできないのに私がそんなことを言ってしまったのでキレてしまったんだと思います。それに、火災保険に払うお金のことでも父はお金がないと言っていたのに私が余計なことを言ってしまい、「修理代と火災保険、十万お前が用意しろ」と大声で怒鳴ってきたので、「火災保険のプランをもっと安いのに替えたら」と父に言ったら、父はさらに激怒して、車を止め、車を放置して歩いて家に帰ろうとしました。私は父にメガネを壊されていて運転もできなかったためすぐ父を呼び戻し、代わりに私が子供を連れて車を出ました。父は車のタイヤを蹴り、暴言を吐き、怒り狂いながら運転して帰って行きました。

そして、近所の飲み屋さんに行き帰って来た父はまた恐ろしい狂人と化していました。外でも大声で発狂しました。その時には私も「ごめんね、私が悪かった」と父の手をとって何度も何度も謝りましたが父の怒りは収まらず、父は車の中で寝ると強情になっていました。朝まで静かに車の中で寝てくれるならいいんですが、夜中に外で怒鳴り散らかして近所の方達を驚かせて恐怖に陥れてしまうことが心配で仕方ありませんでした。その日は妹も掛け持ちで働いている仕事の日で夜中まで仕事だったので、妹がいない分余計不安でいっぱいでした。お腹を空かせた父が外でわざと大きな声で怒鳴り、家に入って来てお湯を沸かしカップラーメンを作ろうとしていました。ご飯はちゃんと用意してあったので、何度も謝りながら家でご飯を食べるようにお願いしましたが、もうカップラーメンのフタを空けてしまっていて、父はくつ下を履いたままだったので、あとで入って来るからと言って外にカップラーメンを持って行きました。こだわりが強い父はどんな状況であろうと外で履いたくつ下を履いたまま家の中に入ることができません。家の中に入る時は必ず倉庫でくつ下を脱いでから入ってきます。外で作業の途中で台所まで行く場合はくつ下を履いたままそれ専用のスリッパを履いて台所まで入ってくるのが父のやり方です。

外でカップラーメンを食べ終わったあと、父は家の中に入ろうとして玄関まで入って来ましたが、またそこでおかしな妄想が起こってしまい、車の中へ戻って行ってしまいました。それから三時間ぐらい経った夜中二時頃また外から父の大声が聞こえました。私は飛び起きて外に出て、何度も父に謝りながら父をなだめましたが、父はまた車の中へ入ってしまいました。そして、私も眠れないまま時間が過ぎ、朝四時頃父はまた外で大声を出して、カップラーメンを作りに家の中に入ってきました。その時も一生懸命父をなだめましたが駄目でした。その後六時頃また外で父が大声を出していました。妹は夜中仕事が終わったあと疲れて車の中で寝てしまっていたようで帰って来たのは六時過ぎでした。私はもう父のために料理を作る気にもならず、料理好きの妹がさっさとご飯を作ってくれ、父のこともなだめてくれました。父は機嫌はよくなったものの家の中には入って来ず、そのまま庭の作業を始め、その後温泉に行き、昼過ぎに帰って来てようやく布団で寝ていました。私は父が帰って来た同じ頃、幼稚園から戻った息子を連れバスで出かけ、夜家に戻った時には父の機嫌はよくなっていました。父を布団に寝かせたあとは妹と二人で父に浄霊を取り次ぎました。

次の日の朝、父は機嫌よく起きてきましたが、トイレに入る時にまたキレ出しました。「トイレットペーパーがないよ」と怒り口調で言ってきました。実際にはまだ未開封のトイレットペーパーが三袋もあったんですが、それは以前から父が買っていたもので、私が買っていたトイレットペーパーがもうなくなっていたので父はキレたんです。以前から父はお金にとてもけちけちしていましたが、とてつもなく恐ろしい精神状態になってからはさらにお金のことでも卑しくなっていました。父はティッシュペーパーやトイレットペーパーなどの日用品も全部私に買わせようという考えでした。父は自分が元々買って置いていたトイレットペーパーを三袋とも倉庫に持って行きました。私は体験談を作るために仕事も辞めていて、アパートを引き払った際の敷金と解約手数料などの大きな支払いを差し引いたわずかな最後の給料の残りで家族四人分の食費を賄っていて、体験談をある程度作りあげて仕事を探さないといけないという焦りがある中で、食費も一切出さないのに日用品の買い物まで私にさせようとする父が憎くてたまりませんでした。食費も出さないのに光熱費と家賃まで請求されました。自分に経済的余裕が全くなかったので、お金に対してものすごく卑しく、父の借金の原因もすべて私のせいにしてくる父にはもう我慢ができませんでした。父には「怒鳴るんじゃなくてちゃんと話し合おう」と言いましたが、ありもしないおかしな妄想や被害妄想がまだまだ続いている父にはまともな話し合いなんてできませんでした。

妹は自分の借金もだいぶあるようですが、ある程度食料も買って来てくれていました。火災保険の支払いにお金が足りず、一万円出すように父から強要されていて、「一万出さなかったらガスも電気も水道も全部止めてやるからな」と脅しのような言葉で父は何度も怒鳴っていて、私と妹で五千円ずつ出しましたが、生活費がもうあとわずかしかない私は恐喝してくる父に腹が立って仕方がありませんでした。実家へ戻って三週間経った頃には私の持ち金は全てなくなり、妹からお金を借りたり、食材も妹が買って来てくれ、妹に頼る生活となってしまいました。私は父の精神病がある程度よくなり体験談をある程度作り上げてからでないと仕事を始めるわけには行かないと考えており、妹には迷惑をかけてしまいました。短時間の仕事をしながら体験談を作ろうと仕事探しもしましたが、私は車も持っておらず、仕事を終え子供を幼稚園に迎えに行って帰ってくるには車がないと不便な所に住んでいるため、簡単に仕事探しもできませんでした。

父のお金への卑しさに腹が立っていたせいで、父がまたありもしない妄想話で私のことを責めてきた時に私は我慢できずまた言い返してしまい、掴み合いの喧嘩になり、何度も顔面に唾をかけられました。そして、父は私の靴を持ってきて、これを食べたら許してやるといきり立っていたので、怒りまかせに私も何度も自分の靴を噛んでみせましたが、それで父の怒りが収まることはありませんでした。夜中も寝られないのか布団から起きてきてわざと私の部屋の前で奇声をあげ、一時間以上も大声で怒鳴っていました。そして私もようやく布団から起き、父の前に出ましたが、父への怒りが全く収まらない状態だったので父をなだめることができず、言い争いになってしまいました。掛け持ちでやっている仕事が終わって帰ってきた妹にまた救われました。妹のおかげで私の気分も少し変わり、私も父に優しい言葉をかけて、ようやく父は布団で寝ました。

こんなことがずっと続くようであればもう私の身が持たない、早く解決するにはどうすればいいのか考え、父を操る邪神の根源になっているメシヤ教を家族一緒に早く辞めなければと思いました。ですが、早く辞めたくてもすぐに辞めれない理由がありました。それは御神体奉納金の未払い分があと十三万残っていたからです。それを納めないことには辞めるわけにはいかず、そんなお金はどこにもないので困りました。頭のいい楳木先生のことを崇拝し、毎月一人で大分の本部の月次祭に行っている父をどうやって説得して一緒に辞めさせるか悩みました。そもそも去年の十一月末に二度目の体験談を作り上げた時に楳木先生の反応が良くなかったにも関わらず、御神体のことを相談して見本用の仮の御神体とはいえ分割で御神体と御写真を頂いたこと自体が間違いだったんじゃないかとも悩みました。

メシヤ教では床の間用の御軸の御神体が二十万円で、御写真が十万円なんだそうで、お金がなかった私は通常より小さいサイズの見本用として作られた御神体と通常のメシヤ様の御写真をいただいています。二十万を毎月一万ずつ納め、あとの十万を一括で納めてから本来の御神体を御奉斎すると言われ、その時にはその見本用の御神体はあげるからと言われていました。複雑な形での御神体御奉斎で、そのあとすぐに私はメシヤ教を離れることになったためいったいいくら納めればいいのかもよく分かりませんでしたが、御写真代十万円と見本用の仮の御神体代を勝手ながら十万円と見立て、二十万円を納めてからメシヤ教を辞めようと考えていました。

父が発狂する姿を息子に見せるのはとてもかわいそうでしたが、息子は我が家の救世主にもなってくれました。父は私に対しては毎日のように発狂して攻撃してきましたが、自分の孫に対しては何の攻撃もなく、父が怒り狂っている時に息子が父にじゃれつくと、父の怒りが収まることが何度もありました。怒りが収まった時に父がいつも言う言葉は「俺はいつもお前にいじわるされて」です。実際にいつも発狂して家族や近所の方達を苦しめているのは父なのに、父本人は私が冷たい、私がいじわるだという思いが根本にあるようでした。