11「御玉串料による御守護」 平成28年10月

毎日発狂する父に私も妹ももう憔悴しきっていて、いつになったら元に戻ってくれるんだろう、どうすれば御守護を頂けるんだろうと悩んでいて思いついたのがメシヤ様への御守護願いの御玉串料でした。いつもメシヤ様にお祈りもし、浄霊も取り次いできましたが、御玉串料が疎かになっていました。そこでまた私は失敗をしてしまいました。御玉串料や感謝献金は無理した金額を包んではいけないですし、生活費のことで頭を悩ませながら生活している状況なのに、御守護を頂けることを願って無理して一万円包んでしまいました。結果、父に何の変化もありませんでした。お金に困っている時なんだから無理はせずに御玉串料は百円でも二百円でもよかったなとあとになって思いました。

私が御玉串料を御神前にお供えした二日後に妹も御玉串料を御神前にお供えしました。そこで奇跡が起きました。その日の夜はわりと父の状態も落ち着いていて、ソファーに寝ていた父に浄霊も取り次ぐことができました。ソファーから起きて布団に行こうとした時と次の日の朝起きた時に少し妄想でおかしなことを言っていました。ですが、昼間私が出かけて家に戻ったら、父がいつもと違いました。私に対する攻撃がなく、親戚の悪口だけを言っていました。いつも発狂する時の荒々しさもありませんでした。チャンスだと思いました。私は父の親戚への悪口にすべて同調しました。すると、父の機嫌も落ち着きました。私もうつ病などいろいろ精神障害を経験しているので、自分の訴えに耳を傾けてもらえず、責められるようなことを言われたら気が狂いそうなぐらい苦しくなるということは十分分かってはいます。ですが、父の場合は気が狂いそうになるのではなく、本当に狂ってしまい、相手を猛攻撃してしまうので、攻撃のターゲットにされてしまった私もどうすればいいのかとずっと苦しんできました。ですが、その日は自分が攻撃の対象から外れるという私にとってとてもありがたい奇跡が起きたんです。

「演技でいいからお父さんに謝って」と妹からは何度も何度も言われていましたが、私はそう言われるたびに心が壊れそうなぐらい苦しい思いをしていました。父の気を静めるには私が演技ででもごめんね、私が悪かったと謝ればよいということは分かってはいても私が父にされたことはあまりにも卑劣なことで私も演技で謝るなんてできなかったんです。それに、たとえ謝っても怒りが収まるのはその時だけで、また同じことを繰り返すことは分かっているのに憔悴しきっている状態で演技で謝るなんて私にはできませんでした。私自身が誰かに支えられて心が満たされていれば、演技ででも父に謝ることはできたかもしれませんが、妹からそれを言われるたびに、「私は被害者なのになんで私に謝らせようとするの?」と思い、もう何もかもが嫌になって、人生を終わらせたくなるような気持ちになって苦しんでいたんです。

そして、他にも妹から言われて辛かった言葉は「がんばれ」でした。「私、一生懸命がんばってるのにこれ以上どうがんばればいいの?」と思いました。突き放されたような気持ちになる言葉でした。だけど、妹から「一緒にがんばろうね」と言われると私も気持ちが明るくなってがんばろうという気持ちになれました。攻撃のターゲットが自分でなくなれば精神的にかなり楽になれ父の心のケアもやりやすくなるので、私が実家に戻ってからもずっと続いていた私への攻撃が収まってターゲットが私でなくなったことは、妹が無理のない金額で御玉串料を包んでメシヤ様に御守護願いをしたことでの奇跡だったと思います。

どんなにめちゃくちゃなことでも父が親戚の悪口を言うことに私が相づちして「お父さんも辛かったんだね」と優しく言うと、父は落ち着き穏やかになりました。そして、驚いたことは、父が世間一般のまともな父親らしい注意の仕方を私にしてきたことです。昔から父は自分達家族に何かを注意する時、感情が先立って怒鳴りつけるような言い方をするか、そうでない時は変な冗談で下手に出て言ってくるので、私は怒鳴りつけられた時はイラっとし、変な冗談で下手に出てきた時には小ばかにしてきていました。そんな父が初めてまともな父親らしい愛情のある注意の仕方をしてきたので、私も素直に聞き入れることができました。本当に信じられない出来事でした。