197「窮地四日目」 令和元年6月

六月十三日、窮地の状態に追い込まれてから四日目になりました。あと二日で地上天国祭を迎えます。どうにか奇跡をいただきたいという気持ちでした。その日はいつもよりも早起きをして朝父に遠隔浄霊をしました。それから子供を学校へ送り出し、私もその日は仕事に行くつもりでした。ですが、父のことで不安でいっぱいで気持ちは仕事どころではありませんでした。それに今は父の一大事の時です。「お父さんの問題がまだ解決していないのに仕事なんて行っている場合じゃない」と思った瞬間お腹が痛くなり下しました。合図がくるほどの一大事でもあり、また、これを乗り越えればついに地獄が終わるんだと思いました。

ですが、二日前にも急きょ仕事を休みをもらっていたため、また急に休ませてもらうのも申し訳ないという気持ちがあり仕事に行くことにしました。ですが、父のことを疎かにするつもりは一切なく、仕事に行って時間を使ってしまう分、家にいる間に一生懸命やろうと思いました。その日は出勤時間が十一時からだったため朝時間がありました。まず、父の身霊を救っていただけるよう御神前で善言讃詞を三回奏上しました。それが朝八時四十分でした。それから父へ遠隔浄霊をし、九時三十分に再び善言讃詞を三回奏上しました。その後仕事に行く身仕度と食事を簡単に済ませ、十時二十分から再び善言讃詞を三回奏上し、二、三分だけ遠隔浄霊をしてから仕事に出ました。職場に着き父の状態が良くないということを話すと早上がりしても大丈夫だと言ってもらえ、その日は二時間だけ仕事をして早上がりさせてもらえました。そして、次の日もまた仕事を休ませてもらえることになりました。

家に帰ってからは今度は父に憑依する邪霊が改心し父から離れるよう御神前で天津祝詞を三回奏上し、メシヤ様に御守護をお願いしました。それから一時間近く御教え拝読をし、また天津祝詞を三回奏上しました。そのあとに父に遠隔浄霊をし、再び天津祝詞を三回奏上しました。

夕方妹が仕事から帰ってきてから父の状態を知ることができました。妹は朝仕事が始まる前に病院に電話をし、父の状態を聞いてくれたようです。父の精神状態は落ち着いているとのことでした。そして、電話で話したのも病院の職員の方で、父の主治医の先生や担当の相談員の方と話したわけではないので父に注射を打つ話を出されずにすみました。ですが、もうこのまま父をずっと入院させてもらうわけにはいかない状況です。父から邪霊が抜けさえすれば父が発狂することはなくなります。そうなれば父を家に戻すことができます。できることならもう二度と父と一緒に暮らしたくないというのが本音ではあるんですが、そんなことももう言っていられません。邪霊が抜ければ父は普通の生活が送れるはずです。力の強い邪霊が抜けたあとはもぬけの殻のような状態になるかもしれませんが、発狂して世間に迷惑をかけながら生きていくことに比べたらもぬけの殻のような状態の方がどらだけましか分かりません。とにかく今は父に憑依する邪霊が改心し、父から離れることを願って自分にやれるだけのことをやるのみです。