179「山幸彦の御陵へ行って」 平成31年2月

二月四日は立春祭を執り行うため私も妹も仕事を休みをとりました。朝息子を小学校へ送り出したあと携帯で調べものをしていたら日本神話に出てくる山幸彦の御陵が私の家からそれほど遠くない場所にあったということを知りました。妹にそれを話し、立春祭の参拝のあとにその御陵に行くことにしました。午前十一時から立春祭を執り行い、そのあと家を出ました。

山幸彦の御陵は霧島市溝辺にありました。我が家から車で三十分ほどで着く所です。こんな近い所にお墓があったのかととても驚きました。御陵の前で善言讃詞を上げたあと私が気になっていた疑問を投げ掛けてみました。「兄弟のわだかまりはもうないですか?親子関係はうまくいっていますか?」と声に出して質問をしました。その瞬間私の隣で妹の背中におんぶされていた一歳四か月の甥っ子が今までに聞いたこともない大きな叫び声をあげました。私は驚いたと同時に「えっ、怒ってるの?」と思いました。甥っ子に何かが憑依して返事をしたんだと思ったからです。

なぜ御陵でそんな疑問を投げ掛けたかというと海幸彦と山幸彦の母親が私だからです。自分の前世やそのまた前の前世のことなど知るよしもないんですが、三千年前の私はおそらく海幸彦と山幸彦の母親だったんです。そして、私の父が海幸彦か山幸彦の生まれ変わりであるということも今から一年ほど前に分かっていました。

父が海幸彦の生まれ変わりなのかそれとも山幸彦の生まれ変わりなのかどちらなのかが分からないまま一年経ち、今回山幸彦の御陵へ行き私の父は海幸彦の生まれ変わりであり、私の妹が産んだ子供が山幸彦の生まれ変わりなんだろうと思えました。兄であった海幸彦が弟の山幸彦に制圧され苦しい思いをしたであろうことは神話の内容を読んで想像できます。その時に母であった私は海幸彦を助けることやかばうことができなかったのかもしれません。今世で私がこれほどまでに父に苦しめられてきたのは三千年前の因縁もあったんだろうと思います。

山幸彦の御陵で私が疑問を投げ掛けた時に甥っ子が大きな叫び声をあげたのは最初は怒っているという意味での返事だったんじゃないかと思えたんですが、そうではなく甥っ子が山幸彦であるということを知らせるための返事だったんだろうと思います。その日立春祭を迎え新たに因縁関係を教えていただけたんじゃないかと思えました。おそらく海幸山幸の悪い因縁も解消されたというふうに捉えていいのかなと思えました。