110「立春祭前日と当日」 平成30年2月

二月三日、この日私は吐き気と嘔吐の浄化がまだ完全に良くなっていなかったため仕事を休ませてもらいました。前日にはだいぶ症状も収まっていたんですが、その日の朝からまた吐き気と嘔吐が続きました。妹がいてくれたおかげで食事の用意もしてもらえ助かりました。その日も昼間は父もお酒を飲まず正常な状態でした。ですが、夕方五時頃から父はまた豹変しました。倉庫でお酒を飲んだようで、また庭でいつものようにぶつぶつ人の批判を言い出しました。そして、次第に声も大きくなっていき、またいつものように大声で叫びました。息子に何度も止めに行かせましたが父の発狂はなかなか収まらず、妹が止めに行っても一旦は収まるもののまたすぐに大声を出し始めるという繰り返しでした。

その日もまた父は妹に引っ張られないように玄関の前の柱につかまりながら大声で叫びました。私が父の前に出向き、「何やってるの。ばかみたいだよ」と言うと、今度は妹が父に「哀れだよ」と言いました。すると父はまた柱から手を離し私に掴みかかってこようとしましたが、そのまま妹が父を家の中に引っ張っていってくれました。家の中に入ってからも父の発狂はずっと続きました。私の部屋の襖を開け、大声で怒鳴り散らかし、唾をかけてから出て行くという行為を何度も繰り返しました。汚く醜い父のやることに本当にうんざりしました。私のことだけでなく、いつも名指しで攻撃する近所の方のことも殺して自分は刑務所に入った方がましだと何度も大声で叫んだのでまた近所の方々を震撼させてしまっただろうと思います。本当にもうこれ以上は父をこの家で野放しにしておくわけにはいかないなと思いました。

二月四日、立春祭の日を迎えました。その日父は朝六時頃トイレに起き、「台所は俺も使うんだから使うなら今のうちやっとけ」といきなり大声で怒鳴り、布団に戻って行きました。朝から大声を出す父にとても腹が立ちました。十時半を過ぎても父は起きてこなかったので十一時からの立春祭の参拝は諦めました。精神的にもう限界を超えている私は父が寝ている間、そのまま死んでくれないかと何度も期待していました。十一時前に父が布団から起きてきだした時には正直とてもがっかりしました。立春祭というよき日に父の死を期待するなんて私の心もそうとう汚れているかもしれませんが本当にがっかりしました。

父は毎朝大黒様と先祖にお茶をお供えしてから朝拝をするのが日課ですが、起きるのが遅くなり自分のリズムが崩れたせいかその日はお茶をお供えしたあとは朝拝もせずに日課の買い物に出かけていきました。私はまだ吐き気と嘔吐の浄化が完治していなかったので、父が起きてきて家を出るまでの間はずっと布団で寝ていました。そして、午後二時頃私と息子と妹と妹の子供と四人で立春祭のお参りをしました。私が祝詞を上げだしてすぐ外からオレンジ色の太陽の光が部屋の中にぶわーっと射し込んできました。とても鮮やかなオレンジ色の光でした。こんな現象は初めてでした。父がとてつもなく恐ろしい狂人となって二年経ちましたが何かが変わる、私がこの二年間やってきたことは間違いではない、そう思わせていただけた現象でした。