74「御神前でぼーっとして迷いを払拭」 平成29年10月

夜は息子と外食をすることが多くなったものの毎日続けて外食ばかりするわけにもいかず、父が庭の倉庫でお酒を飲んでいる時にはその隙に急いで料理を作り自分の部屋で息子と食事を済ませ、急いで洗い物も済ませるんですが、父が家の中にいる場合は本当に恐怖です。十月十六日、その日は大発狂する父に掴まえられ、何ヵ月かぶりに酷い暴力をうけました。

その日は夜家で晩ご飯を作ったんですが、父が台所の隣の居間におり、いつものようにお酒を飲みながら私に向かって大声で暴言を吐いていました。私は急いで料理を済ませるために豆腐とえのきと白菜だけの簡単な鍋料理を作り、自分の部屋で食べました。私が自分の部屋に入ってからも父は何度も何度も私の部屋の前まで来て大声で怒鳴り続けました。しばらくすると父がまた庭に出て行き、私の悪口を大声で叫び出しました。明らかに私に対する嫌がらせでした。私も頭に血が上り父を殴りたくなりましたが、早く父の発狂を止めないと近所に大迷惑をかけてしまうので、気持ちを落ち着け庭に出て行き、「ご飯を用意しますので、どうぞ中に入って食べて下さい」と何度も父に言葉をかけ、父は「おまえが作った飯なんていらん」と怒鳴り狂っていましたが、私も必死に父を家の中に引っ張って入れました。父に両腕を掴まれ「握り潰すぞ」と言われ、ちぎられそうなぐらい両腕を強く掴まれましたが、我慢して耐え、父が手を離した隙に急いで父の分の食事を用意しました。父の食事を用意している間も父にお酒をかけられましたが、私も文句も言わず黙って耐え、父に料理を出しました。父はご飯を食べ始めるとおとなしくなったので一安心していたらしばらくしてからまた大発狂が始まりました。おそらく昼間からまた飲み過ぎてお腹の副守護神の威力がそうとう増していたんだと思います。やはり、父の分の食事を用意しようがしまいが父が大発狂を起こすことには変わりはないんだと痛感しました。

発狂し始めると父はまた庭に出て行き、大声で叫び出しました。時間も夜九時を回っており、九月末にも父が大発狂して警察沙汰にもなり、近所中を恐怖に陥れてしまっていたばかりだったので、私も冷静ではいられず、警察を呼んでしまおうかと思い携帯を手に取りました。ですが、警察を呼ぶことが本当に正しいことなのかと迷い、御神前に向かいメシヤ様に祈りました。そして、御神前で座ったまましばらくぼーっとしていたら、迷いがなくなりました。もし私が警察を呼んだりすれば私は父に恨みを買い、殺されるかもしれないと思いました。それに警察がきたところで精神病の父の状態がよくなるわけでもありません。警察がいる間は少しおとなしくなりますが、警察が帰ったあとはまた発狂しだします。警察を呼ばれたことでさらに父の感情も高ぶりもっと大暴れします。近所に迷惑をかけたくないという一心で迷いが起こりましたが、御神前でメシヤ様から御光をいただき迷いがなくなりました。

そして、すぐ庭に出て父を家の中に入れようと父をなだめ、父を引っ張ろうとしましたが、発狂する父の力はとても強く、いくらなだめても大声で叫び続けました。近所の方達の怒りや恐怖を考えると私もなんとか早く父を家の中に入れねばと焦りました。玄関まではなんとか引っ張ることができたもののそこからは父が暴れて抵抗されるためいくら引っ張ってもなかなか父を家の中に入れることができませんでした。そして、玄関で掴み合いになり首を絞められたので、私も必死に抵抗し、父の腕に爪をくい込ませました。父が大暴れしたため私の口の中も切れて血が出てきました。玄関が空いた状態でずっと父が大声を出して暴れていたため父の大声がずっと近所中に響き渡っており、私もどうにか早く玄関を閉めたい、父を早く家の中に引っ張りたいととても焦りました。焦りで頭の中が真っ白になっている中、父が一瞬玄関から手を離したのか、父を玄関から家の中に引きずることができました。

父を家の中に引きずっている間は頭の中が真っ白で無意識だったんですが、そのあとすぐ我に返った私は父がまた散々近所中に迷惑をかけたことへの怒りがこみ上がり、頭に血が上り、父の目の横辺りをぐーでおもいっきり殴ってしまいました。そして、やり返されないように素早く逃げました。一回殴っただけでは父への苛立ちが抑えきれず、父に言いたいことを告げると父はまた怒鳴り狂いながら私を掴まえようとしてきました。しかもその日は私の逃げ道を塞がれました。以前父が怒り狂って壊してはまらなくなってしまっていた襖を使っていつも私が父から逃げ回る時に通る廊下を塞がれてしまいました。そして、私はあっという間に父に掴まってしまいました。髪の毛を強く引っ張られ床に叩きつけられました。そして父に頭を足でぐいぐい踏みつけられました。首も絞められました。

散々頭を強く踏みつけられ父の気が済んだところで離されましたが、そこでまた私も怒りが爆発し、父に「おまえ、また女に暴力振るったな。殴らせて」と言いました。父も気が済むまで暴力を振るい少し我に返ったのか、すんなり承諾しました。ぐーで殴るか平手打ちをするか迷いましたが父の顔を平手打ちしました。ですが、一回平手打ちしたぐらいでは私がうけた暴力の仕返しにはならないと納得がいかず、「もう一回殴らせて」と言ったとたん父がまたぶちギレて私に掴みかかってきて髪の毛を強く引っ張られ、頭を踏みつけられました。父の気が済むまで髪の毛を引っ張られながら頭を踏みつけられ、そのあと父はまた庭に出て行きました。父がいない隙に私は仕返しに口の中にたまっていた血を父が使うテーブルに吐きました。そんなことをしたら余計に父が狂ってまた暴力を振るわれるかもしれないとも思いましたが散々酷い暴力をうけたのでこれぐらいしないと私の怒りも収まりませんでした。

父が庭の倉庫に行ったまま家の中に入ってくる気配がなかったので、私はまた御神前に座り、メシヤ様に祈ったあとしばらくぼーっとしていました。そして、メシヤ様が残された御言葉を思い出しました。「助かるのは三割┅いやあるいは一割くらいかもしれない」、まさにその通りだろうと思いました。精神病の父との生活はあまりにも、あまりにも、あまりにも辛すぎます。これが最後の審判だと分かっているので私は何がなんでも耐えてみせるという覚悟でいますが、普通の人ならとてもじゃないですが、この苦しみに耐えることはできないと思います。まるでメシヤ様は六十年前に今の私のこの状況を夢で見て知っておられたんじゃないかと思えました。精神病は治るまでに二年かかるという御教えもあります。父がとてつもなく恐ろしい大発狂を起こすようになってからもう一年九ヶ月経ちます。二年経つまであと三ヶ月です。この地獄のような審判を無事に乗り越えることができたら私は今度は一人でも多くの方が救われるように御神業に専念しなければと心に決めました。

十月十六日の大発狂以降しばらくは父も大発狂を起こすことはありませんでした。ただ、相変わらず精神状態がおかしいことには変わりはないので、私も朝仕事に行く前や夜寝る前に自分の部屋から父に向けての浄霊をほぼ毎日続けました。父の精神病が治るまであと三ヶ月の辛抱だという期待を胸にどうにか気力を振り絞り父への浄霊も取り組むことができました。お酒を飲まなくなるように父のお腹の副守護神への浄霊を念入りにしました。夜父がわざと庭に出て大声を出そうとしたこともありましたが、その度に父が玄関にいる間に部屋の電気を消し、父に私が部屋にいることを意識させないようにしました。そして、父も庭に出たものの大声を出さず、すぐまた家の中に戻って来るということが何度かありました。おそらくお酒の量が少なかったため、お腹の副守護神もそれほど威力をだせなかったんだろうと思います。夜だけではなく父は朝も庭に出て私への嫌がらせのためわざと外に向けて私や誰かしらの悪口を言いますが、その時の声のボリュームもかなり落ち着いていて、隣の方までは聞こえていたとは思いますが、近所中に響き渡るような怒鳴り声ではなくなったので私も少しほっとしました。